ソ連によるクリミア・タタール人追放から75年 問題喚起のロゴ発表
ソ連政権によるクリミア・タタール人全民族のクリミア半島からの追放から75年が経過する。5月18日に予定されている、クリミア・タタール人虐殺被害者追悼日の関連行事に用いられるロゴが発表された。
2日、レファト・チュバロフ・クリミア・タタール民族代表機関「メジュリス」代表が自身のフェイスブック・アカウントで報告した。
チュバロフ氏は、「クリミア・タタール人虐殺被害者追悼日の関連行事全てに用いられる、複数言語でのロゴは、このような見た目である」と書き込んだ。
このロゴは、国営企業「クリミアの家」のチームが作成。黒い背景に赤の線路でクリミア・ハン国時代から用いられる民族の紋章「タムガ」がかたどられている。紋章「タムガ」の上には、ソ連が民族を追放した「1944年5月18日」の日付が入っており、下には、「クリミア・タタール人虐殺から75年」と書かれている。このロゴは、クリミア・タタール語、ウクライナ語、英語、トルコ語の4言語で作られている。
クリミア・タタール人の追放とは、1944年5月18日、ソ連の当時の指導者スターリンの命令で、クリミアから中央アジア諸共和国やロシアの地方へ、先住民族のクリミア・タタール人を強制的に移住させた事件を指す。複数の評価によれば、追放されたのは当時のクリミア在住クリミア・タタール民族全体(18万~23万)であり、そのうちの約46%が移動中あるいは追放後数年以内に死亡したとされる。また、1941年8月から1944年6月にかけて、クリミアからは、その他、ドイツ人、アルメニア人、ブルガリア人、ギリシャ人、イタリア人も追放されている。
2015年11月12日、ウクライナ最高会議は、このクリミア・タタール人の追放を虐殺と認定しており、毎年5月18日を「クリミア・タタール人虐殺被害者追悼日」に定めている。