2019年のウクライナの二つの重要な選挙
ウクライナは、2019年に二つの選挙を迎える。1つは3月31日に一回目の投票日が迫る大統領選挙、もう一つは秋の最高会議(国会)選挙である。大統領選挙にばかり注目が集まりがちだが、ウクライナの政治システム上、秋の国会選挙の重要性は小さくない。
なお、これらの選挙は、2014年のロシアによるクリミア占拠と東部侵略開始から5年が経過したタイミングで行われる。同時に、マイダン革命(尊厳革命)後に成立した新政権樹立から5年が経過したということも意味し、今年の2つの選挙はこの5年間に対する国民から政権への審判の意味を持つ。
3月31日の大統領選挙には、44人という記録的な数の候補が出馬登録された(その後5名が出馬を取り消した)。この数は独立ウクライナ史上最多であるが、他方で、その中で国民から実質的な支持を得ている候補は数人に限定される。その以外の多くの候補者は、大統領選挙勝利を目的としているのではなく、別の目的、例えば秋の議会選挙に向けて少しでも自身のアピールの場を求めて活動しているのであろう。
信頼の得られている調査機関が2、3月に行なった世論調査結果によれば(例:1、2、3)、現職大統領のペトロ・ポロシェンコ候補の他、TVタレントのヴォロディーミル・ゼレンシキー候補と祖国党党首のユリヤ・ティモシェンコ候補が支持を得ており、この3人の候補が上位3位を形成している。これに、ロシアとのつながりの深い野党・生活党が支援するユーリー・ボイコ候補、元国防相であり国民の立場党の党首アナトリー・フリツェンコ候補、急進党のオレフ・リャシュコ党首が続く。このあたりまでが、現実的に選挙戦で競っている候補である。
各候補の選挙公約とされる「選挙プログラム」は、中央選挙管理委員会のウェブサイトでダウンロードして見ることができる。各候補の公約には、大統領の直接の権限である外政、国防に関係するもの以外に、実質的に大統領が権限を持たない内政に関わるものも含まれている。これらの公約は大統領選挙で勝利しただけでは実現できず、秋の議会選挙で自身の勢力が少なくとも与党を形成しなければならない。
大統領・内閣・議会の権限
各候補の選挙プログラムを正しく理解するために、まずウクライナの政治システムにおける大統領と議会の権限を大まかに説明したいと思う。ウクライナ憲法によれば、大統領は、国防と外政を中心に大きな権限がある。具体的には、大統領は議会に対して直接国防相と外相を任命のために推薦することができる他、大統領は国軍の最高司令官を兼任している。これに加えて、大統領は、保安庁長官、検事総長といった一定の治安・司法関係の長の候補も議会に提案でき、また州・地区等の行政府長官の任命権限もある。他方で、大統領は、内閣首相の候補は、直接提案することができない。首相候補を選ぶのは、議会が形成する与党連合であり、大統領はこれに同意し、任命のために議会に提出する役割しかない。また、国防相・外相以外の各省の大臣の任命は、首相に提案権があり、大統領自身は直接任命に関わる権限がない。つまり、ある大統領候補がいくら選挙運動期間の選挙プログラムで経済諸政策を提示しても、大統領となった際に議会に自身の政治勢力を有していなければ、公約を実現することができないのである。
このウクライナの「議会・大統領制」と呼ばれる政治システムを理解することが、今年の選挙を考える上で重要となる。各大統領選候補の選挙プログラムを見てみると、大統領に権限が集まる外交(欧州統合推進に関する公約が多い)や国防(軍の改革、欧州・大西洋統合方針)の他、実際には内閣に権限のある公約も多く並べられている。これは、各候補が国民に対して経済問題もアピールする必要があると考えているとも言えるし、すでに大統領選挙の後の秋の議会選挙に向け、自身の政治勢力の公約を提示しているとも言えよう。これは、ウクライナにおいて大統領選挙と議会選挙を一定程度セットに考える必要がある理由でもある。
大統領選挙では、1回戦に過半数の票を取る候補がいない場合、決選投票が行われる。2014年の大統領選挙では、ポロシェンコ大統領が一回戦で過半数を取り大統領に選出されたが、最近の世論調査の結果を見ると、2019年の大統領選挙は第1回投票で過半数を取り、当選する候補はいなさそうである。となると、4月21日に上位2名による決選投票が行われることになる。現時点では、おそらく上位3名(ゼレンシキー、ポロシェンコ、ティモシェンコ)のうちの2名となるであろうことが予想されるが、予断は最後まで許されない。
そして、晴れて候補の誰かが選挙に勝利し、大統領に選出された場合も、この新しい大統領の抱える政治勢力が秋までに支持を拡大するとは限らない。ウクライナでは、伝統的に政権に就くものに対して批判が集中するため、新大統領が就任した後、その政治勢力は徐々に支持を減らす傾向がある。今回も新たに選出される大統領とその政治勢力が秋までに支持を減らす可能性がある。つまり、現在の圧倒的な支持を持つ政治家・政治勢力がいない世論の状況は、秋の議会選挙まで続く可能性が十分にあり、その場合、議会第1党が大統領の勢力でない可能性もある。
そうであれば、秋に予定される議会選挙には、圧倒的な支持を有す政党がいないまま、複数の政党が議席を獲得することになる。ウクライナ憲法上、与党は過半数を有さなければならないため、与党形成のための複数政党による協議が難航する可能性がある。与党が形成された後、この与党が中心となり新しい内閣を形成する。この内閣が経済関連省庁の活動に関する大きな権限を有すことになる。もちろん、最高会議も、立法府として大統領や内閣の活動をコントロールする大きな権限がある。
主要争点
これを踏まえた上で、今年の大統領選挙の論点を考えたい。「ロシアとの関係」は、2014年から続くクリミア占拠と東部ドンバス地方での実質的な戦争が継続していることを背景に、「ロシアとの関係を発展させる」と訴える候補はほとんどおらず、争点はむしろ、クリミア・ドンバス問題に如何に向き合うか、どのような解決戦略を有しているかに集中している。同時に、これらの問題に安易な解決手段がないことは言うまでもなく、候補者間に決定的な差異は見られない。また、ほとんどの候補者が、欧州連合(EU)をはじめとする欧州諸システムとの統合を目指す「欧州統合路線」と、北大西洋条約機構(NATO)加盟を目指す「欧州大西洋統合路線」を進めるという公約を掲げており、こちらも候補者間で大きな差が見られていない。これは、欧州との間でウクライナ・EU連合協定という大きな効力を持つ協定が既に発効している中で、どの候補者も目立った公約を挙げることが難しいことが理由であろう。例えば、「連合協定の履行」や「欧州統合推進」だけでは選挙公約としてはインパクトに欠けるし、「EU加盟」や「NATO加盟」を5年以内の公約とするには、無理が目立ち過ぎるのである。ウクライナ外交には、今後も多くの重要課題があるのだが、現状では、選挙時の公約を差別化するのは難しい状況にある。なお、これは既に国家の外交路線が概ね確立していることが理由でもあり、選挙時に外交分野のポピュリズムの入る大きな余地がなくなっているということで、肯定的に見ることも可能であろう。過去の大統領選挙において「西か東か」と外交を単純化して国民に問うていた時代が、2014年のロシア侵攻開始を経て、実質的に終わったと言えるのかもしれない。
選挙の論点として、各種改革に対する意識・実施計画も重視される。なお、しばしば日本の報道では「マイダン革命以降も、国内改革が進んでいない」との表現が見られるが、これは誤った認識であることを指摘しておく必要がある。G7、EU、IMF、国内市民団体といった、ウクライナの国内改革を日々モニターしている団体・組織は、過去5年間に、それ以前の23年間に実現できなかった数多くの改革が実現されたとして、肯定的に評価している。もちろん、その速度・質が必ずしも理想的でなく、また今まで実現できていない、遅れている改革があることも間違いない。ただし、実現されたものに関しては適切に評価されるべきであり、国内改革は引き続き連合協定を指標として、障害を排除し、その実現を加速すべき状況であることを指摘したい。
同時に、経済改革が、財政健全化の一環で、公共料金の値上げをはじめとする、国民への痛みををもたらしたことも事実である。他方で、これはIMFの要求をウクライナ政府が履行していることを意味し、これも本来適切に評価されるべきであるが、短期的には国民の財政状況にダメージを与えたため、政権に対する批判をもたらしている。これを受け、複数の候補が、これらの改革を無効化するような公約を掲げているが、このような公約がウクライナ政府がIMFと結んだ覚書に反する可能性があることには注意する必要がある。
上位3位の候補
現職のポロシェンコ大統領が現在の世論調査で2、3位の支持を得ていることは、過去5年間の国家運営に対する国民の一定の評価の反映であると言えよう。ウクライナは、概して政権を担当する政治家に対して極めて批判的な評価を下す国民性があるが、ポロシェンコ大統領は、連合協定署名、ウクライナ国民のためのEU諸国の査証免除、軍改革、ウクライナ正教会の独立、といった、過去の大統領が成し遂げ得なかった達成を複数実現したことが、現在の支持に現れていると言える。ポロシェンコ候補は、欧州統合やロシアとの戦い、諸改革実行といった、これまでの政策の継続の重要性を中心に訴えている。他方で、特定の分野における改革状況について、不満が聞かれることは否定できない。
社会に広がる不満を最もうまくすくい上げているのが、TVタレントのゼレンシキー候補と祖国党党首のティモシェンコ候補であろう。ゼレンシキー候補の選挙本部は、その新規性とTVタレントとしての知名度、メディア戦術を巧みに使いつつ、過去5年間の汚職との闘いや改革の遅れといった現政権の弱点を糾弾することで支持を高めている。同候補は、汚職との闘い、ドンバスの停戦実現、道路の改修等を訴えている。一方、ゼレンシキー候補は、自身が人気となったテレビ局の所有者である大富豪(オリガルヒ)との繋がりが指摘されている。ティモシェンコ祖国等党首は、主に経済面での国民の不満に着目し、「新しい経済コース」と銘打って、家庭向けガス料金の値下げなどを中心に訴えている。
なお、前述のとおり外交面では、公約上の大きな差は見られず、3者とも欧州統合路線を標榜し、ロシアに対して妥協を示す様子はない。
投票、結果発表、就任式、そして…
3月31日に第一回投票が行われると、中央選挙管理委員会により開票作業が行われ、4月10日までに結果が発表されることになる。そして、この結果発表時にどの候補者も得票率が50%を越えていない場合、決選投票日が発表されるが、その場合、投票日は4月21日となる見込みである。決選投票の開票結果は、中央選挙管理委員会が5月1日までに発表する。そして、大統領就任式が遅くとも6月3日までに行われることになる。
その後、翌7月には最高会議の選挙運動が始まり、その3か月後の10月の最終日曜日には最高会議選挙が実施される。その結果、選出される議員からなる新たな議会が年内の与党形成・組閣を目指していくことになる。
現在の選挙キャンペーンは、長い「ウクライナ選挙イヤー」の始まりに過ぎないのである。
平野高志、キーウ