破壊された家、地雷の敷設された畑… 解放後のノヴォダリウカ村

破壊された家、地雷の敷設された畑… 解放後のノヴォダリウカ村

ウクルインフォルム
ザポリッジャ州とドネツィク州の間の村ノヴォダリウカは、1年間の占領の後、恐ろしい姿になっている。

ノヴォダリウカは、ザポリッジャ州ポロヒ地区マリニウカ共同体に位置する小さな自治体だ。全面戦争開始以前にすでに、同村は「消滅しつつある」自治体リストに入っていた。ここには、10軒の家しかなく、人が住んでいるのはその内5軒だけだったし、住んでいるのは概ね高齢者だった。「解放軍」なるもの(編集注:ロシア軍)が村に陣取ると、2、3軒の建物の壁が残るだけで、他には何もなくなった。

執筆:オリハ・ズヴォナリョヴァ(ザポリッジャ)

写真・動画:ドミトロー・スモリイェンコ

村は人の背丈より高く雑草が生い茂っていた。あちこちに、ロシア軍がノヴォダリウカを制圧してから掘った塹壕がある。しかし、最も恐ろしいのは、ここが地雷で埋め尽くされていることだ。

私たちはそこにいたのは1時間未満だったが、そこにいる間ずっと、そこには私たち以外の誰かがいるとの感覚を覚えていた。複数の場所で数回、空から無人機の音が聞こえた。兵士が言うには、その「鳥」(編集注:無人機)は、敵のものだという。侵略者たちはノヴォダリウカ奪還の試みを諦めていない。

主要な「記念碑」は破壊された戦車

「歩いて良いのは、車の走った跡の上だけだ。車が通った跡を見て、そこに足を置くように。端にはあまり出ない方が良い。足が必要なら、草原は絶対に踏み入れてはいけない。」こう述べるのは、領土防衛部隊のザポリッジャ独立旅団報道官のダミアンだ。

私たちは彼と共に、解放後1か月半が経過したノヴォダリウカに入った。村へ入ったのは雨がちょうど止んだ後で、泥がまるで粘土のようで、車輪の新鮮な跡をしっかり「記憶」してくれていたので、どこを歩かなければいけないかはよくわかった。

ダミアンがこう言う。「この村は6月4日に、私たちの第110旅団が、ウクライナ軍の機械化部隊とともに解放した。村は前線にあり、常に敵の砲撃を受けていたため、激しく破壊されている。ここに住民はいない。」

脱占領後の村の主な「記念碑」は、敵の戦車T72である。ノヴォダリウカを巡る戦いの際に私たちの部隊により壊されたものだ。錆びた戦車は路上に佇んでおり、そこから数メートルの、立ち入らない方が良い場所に、戦車のクルーが埋まっていた。

ダミアンは、この敵の金属スクラップを見せて、「側面に直撃した。爆発で戦車の砲塔は15メートル吹き飛び、ひっくり返って、またそこに落ちてきたのだ」と述べる。

村の反対側の端にも、雑草の中に、これも戦闘時に破壊された、ロシアの歩兵戦闘車がある。

建物の中の穴

村から離れてから、マリニウカ共同体首長のヴォロディーミル・シシャ氏にノヴォダリウカについて、電話でもう少し質問した。彼は、この村は2022年4月17日に制圧されたと述べる。

同氏は、「神にお礼を言わなければならない。そこに住んでいた全ての世帯は、脱出に間に合った」と述べた。

さらに同氏は、彼の出身地であるこの共同体は衝突ラインから近いが、それでも毎週訪れていると述べた。また、同共同体のマリニウカには今も5人の人が住んでおり、ポルタウカには17人、もう1つの村には5人が住んでいるとし、その住民のところには人道支援が届けられていると説明した。彼らは脱出したがらず、2年目になっても砲撃の中で生活しているのだという。私たちは、どのぐらいの建物が破壊された、あるいは損傷したのかと尋ねると、「ひとつ残らずだよ」との返事が返ってきた。

私たちは、ノヴォダリウカの建物の1つに入った。その家は、敵の前線拠点となっていた丘の上にある。家の中の部屋の1つには、床に大きな穴があり、砂袋で固めてあった。下にははしごで降りることができるようになっている。

ダミアンは、「ロシア人は、建物の中に穴を掘っていた。いわゆる地下壕だ。家から陣地へと続く道がある。村は衝突ライン上だったのだ」と述べる。

部屋には、「ロシア軍」との文字が入っている物や連隊を示す物がたくさんある。壁には、コードネームやロシアの町の名前が書かれている。

地面にも空にも爆雷

今は、ここは後衛の村となっており、ここから敵の陣地までは約3キロある。しかし、迫撃砲弾の飛来音はずっと聞こえる。砲弾の「発射」から「飛来」までは、数秒だ。

ダミアンは、「第110旅団は、2023年2月にはこの村を解放しようとしていたのだが、しかし敵はここを、塹壕を掘り、地雷を設置し、非常に強固に固めていた。例えば、私たちの側では、きれいな領土(編集注:地雷の埋められていない領域)と地雷原が少しあるとすれば、敵に制圧されたところは、きれいな領土が少しあり、それ以外のところには全て地雷が敷設されているのだ。あらゆるものに爆雷が設置されている。建物、扉、道の端。敵は、遠隔での爆雷設置を非常に活発に行っている。そのため、前に進むのが非常に困難だ。難しいし、ゆっくりとなる」と説明する。

地雷は道に沿って敷設されており、平原にはそのことを示す看板が立てられているか、領域に地雷が埋まっていることを示すことを示す様々な色のリボンが結ばれている。

民家の庭の一つには、雑草が破壊された建物をほぼ完全に隠していた。ロシア人たちはそれを隠れ家として使っていた。そこには、穴が掘られ、窓や扉の代わりに、機関銃発射地点が設けられていた。

ちょうど私たちがこの家の近くにいた時、ダミアンが、ノヴォダリウカを解放する時にロシア軍が著しい損耗を出したことを話していた。さらに、軍人たちは、この村に駐留していたロシアの中隊は散り散りに逃げていったと述べていた。

なお、同村解放から1週間後の6月11日、ノヴォダリウカのある地区でロシア人がダムを爆破した。それにより、モクリ・ヤリ川の岸に沿って氾濫が生じた。しかし、タウリヤ方面の防衛戦力の攻勢行動の遂行には、影響は及ぼしていない。


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