日本で「ロシア後フォーラム」開催 ロシアの脱植民地化と北方領土問題を議論

日本で「ロシア後フォーラム」開催 ロシアの脱植民地化と北方領土問題を議論

ウクルインフォルム
8月上旬、東京で第7回「ロシア後の自由な民族フォーラム」会合が開催された。

私は、「ロシア後の自由な民族フォーラム(ロシア後フォーラム)」プロジェクトの展開を、昨年5月に開催された第1回のイベントから、大きな関心を持って追っている。15か月が経ち、同「ロシア後フォーラム」は質的に新たなレベルに達しつつ、速度を落とすことなく、しっかりと前に進んでいる。課題の困難さは高まっているが、当初の「射撃速度」は維持しており、イベントは平均で2〜2.5か月に1度のペースで行われている。

関心がある方は、転機であった第5回フォーラム会合に関するウクルインフォルムの特集記事も読んでもらいたい(日本語編集注:リンク先の記事はウクライナ語)。今回の記事では、その時から生じた変化を確認する。

執筆者:オレフ・クドリン(リガ)

写真:ロシア後の自由な民族フォーラム

「ロシアの野党」と「ロシア後の野党」の対立

しかし、まずは少し導入が必要だろう。「ロシア後フォーラム」にはどのような意義と需要があり、どうして同「フォーラム」はうまく展開しているのだろうか。

ロシアの他ウクライナ全面侵攻が始まる前、ロシアの野党のパレットの中には、様々な団体、フォーラム、集団が存在したが(野党勢力は当時はまだ必ずしも国外勢力である必要はなかった)、それが不完全であることが次第に明らかになっていた。問題は、野党勢力が自らを主に「ロシアの」勢力と定義していることにあった。その自己定義は、自ずと「唯一かつ不可分の」国(ロシア)という、一定の政治的立場を示していた。そして、そのことが民族運動の活動やその代表制を排除する、ないしは少なくとも縮小させてしまっていた。真の独立を夢見て、願っている民族の代表たちの活動・代表制が見られなかったのである。

民族運動代表者たちのことは理解できる。なぜなら、最近、民族、文化、ネイションの存続が問題となっているからだ。クレムリンは、非民族化とロシア化を加速させる路線を取っている。ちょうど5年前、プーチンは、ロシアのいわゆる「連邦」領内で保護の義務的学習を取り消す大統領令に署名した。そしてそれが、ロシアの民族のアイデンティティ維持の問題に非常に否定的な影響を与え始めていた。

民族的ロシア人の多い地域の野党活動家の中にもまた、自地域の地位を国家連合の一部、あるいは完全な独立にまで引き上げた方が生産的だと考える者もいる。これも、歴史的事例から理解できる。なぜなら、欧州にはドイツ、オーストリア、リヒテンシュタインという、ドイツ文化、ドイツ語に基づいた3つの先進国が存在するからだ(さらに、スイス、ルクセンブルク、ベルギーにて、ドイツ語は高い公的な地位を有している)。なお、1つの帝国に全てのドイツ人を統合しようとしたのがどのような人物・政治勢力であったか、それがどのような形で終わりを遂げたかを思い出すのは簡単だ…。現在、複数のドイツ系国家が存在することは、肯定的な現実だ。であれば、複数のロシア系国家が作り出されることへの願望をどうして反愛国的とみなさねばならないのだろうか? それも極度に中央集権化された帝国的ロシアが現在、自らの攻撃性と異常性を示している中でのことである。

単に「地域主義」以上のこのような物の見方は、ロシアの「古典的」野党勢力やその幹部には、あまりに過激に捉えられていた。そのため、時間が経つにつれ、(編集注:野党勢力間で)相互の誤解が深まり、対話は公にはほとんど行われず、同時に互いに非難を叫ぶようになった。一方では(古典的野党勢力は独立野党勢力を)「過激主義で周辺的な存在だ」と非難し、他方では(独立野党勢力は古典的野党勢力を)「リベラルな帝国主義だ」と非難してきたのである。

「ロシア後の自由な民族フォーラム」プロジェクトの展開

しかし、協力は続いていた。しかし、2022年2月24日、全面戦争が始まると、多くのことが変わった。第一に、全面戦争の始まりは、「唯一で不可分の」帝国的性質の多くの問題を明らかにした。第二に、不釣り合いに多くの割合でロシア連邦内の民族共和国の人々が動員され始めることで、クレムリンの明らかに卑劣な帝国的性格が急速に明らかになった。一方では、ウクライナ人に対するジェノサイド戦争が展開されながら、他方では、帝国の支配的民族に有利な形で、民族構成状況をさらに変更することを目的に、自国(ロシア)の先住民族が意図的に破壊されているのである。

さらに、ウクライナの人々は、自身の前に突きつけられた脅威を前に、侵略国の反帝国勢力を放っておけず、「私たちとあなたたちの自由のために」との原則に従い、彼らを助けなければならないことを理解した。「ロシア後の自由な民族フォーラム」の運営者がウクライナ人であることは秘密ではない。オレフ・マハレツィキー氏は、精力的で有能な経営者だ。彼は、このコミュニティで信頼されており、敬意を集めている。そのような信頼や尊敬がなければ、彼は何もなし得なかったであろう。そして、もしこのプロジェクトが生き続け、発展しているとすれば、それは、もはや「ロシアの」ではなく、「ポスト・ロシアの」野党勢力の間でそれが広く必要とされているからであろう。

最初の3回の同フォーラム会合は、東欧(編集注:ママ)で開催され(ポーランドで2回、チェコで1回)、4回目は北欧(スウェーデン)で開催された。そして、前述の通り、転機となったのが、今年1月のブリュッセルの欧州議会の建物で行われた5回目会合だ。その会合では、複数の欧州議員が出席しただけでなく、欧州議会の副議長がセッションの一つの司会を行った。

その時にその後の会合が米国と日本で予定されていることが判明した。それが開催できるのかどうか、このプロジェクトを、それまでの高い水準を失うことなく、欧州の外に持ち出すことができるのかどうかという点には、懸念があった。しかし、実現できたのだ! 第6回フォーラム会合は4月25〜28日に、ワシントンDC(ハドソン研究所)、フィラデルフィア(市庁舎)、ニューヨーク(ウクライナ・インスティテュート)という、米国民主主義にとって極めて重要な3都市の、偶然ではない3つの建物において開催された。

第7回「ロシア後フォーラム」東京会合の総括

第7回会合は、8月1、2日に東京の議会の建物(編集注:衆院第1議員会館)にて、5名の国会議員の参加を得て開催された。この話は、会合に、オンラインではなく、直接日本の首都にて出席した3人の参加者の意見を聞くことから始めよう。

話を聞くのは、自由民族連盟に加わるブリヤート独立運動「トゥガール・ブリャアド・モンゴリヤ」代表のマリーナ・ハンハライェヴァ氏、シベリア独立会議委員会副委員長のスタニスラフ・ススロフ氏、自由民族連盟メンバーで、バシキール民族政治センター長を務めるルスラン・ガッバソフ氏である。

彼らは皆、特に東京会合開催初日の、以下のことが最も印象的だったと述べたことを、まず指摘したい。それは、地元メディアの関心、日本の議員との対話、共同宣言についての議論と署名、ソ連/ロシアにより支配されたクリル諸島(編集注:ママ。北方領土問題のこと)の古い問題の解決への大きな関心、将来独立して国となる可能性のある現在のロシアの地域との互恵的協力への関心、である。

そして、最後に、ロシア外務省が抗議の口上書を8月7日に在露日本大使館に手交したこともまた、同会合の重みを認めるものである。

マリーナ・ハンハライェヴァ・ブリヤート独立運動「トゥガール・ブリャアド・モンゴリヤ」代表 「ここではアジア人が堂々としている」

 マリーナ・ハンハライェヴァ氏
マリーナ・ハンハライェヴァ氏

私は、日本について多くのものを読んできましたし、日本の文学作品も読んできました。そのため、少し日本のことは知っていましたし、いくらかの期待を持って今回渡航しました。(会合が終わって)私は日本に衝撃を受けました。私はロシアで、出自はブリヤート人として育ちました。そして私は、日本において、伝統の維持とイノベーションを促進する教育にアクセントが置かれて、調和の取れた均衡のある、これほどにも成功している国というのを初めて目にしました。私と同じアジア人である人々が、堂々と頭を上げて歩いている国なのです。(文脈を理解してもらうために言うと、私は今米国に住んでいますし、以前はアラブ首長国連邦に住んでいたので、豊かな国がどのようなものかはよく知っています。)

会合でよく覚えている演説について言うと、ルスラン・ガッバソフ氏の話はいつも近しく感じていますし、私たちは昔からの知り合いです。日本の出席者たちの話は、いずれも面白かったです。彼らの多くが、自分たちの親が人生をクリル諸島返還のために捧げてきたと述べました。私は、その点で彼らのことをとてもよく理解していますし、支持しています。ロシアが現在ウクライナにて行っている帝国的戦争のことを考えればなおさらです。根本的には、他国の領土を併合するという、同じ話なのです。

その犯罪的戦争に、多くの人がブリヤートから動員されて参加していることを考えるのは非常に辛いことです。クレムリンはそういう手段で自分にとって重要な地域を浄化していると言えるでしょう。なぜなら、そこにはシベリア鉄道、バイカル湖、金、ウラン、モンゴルや中国との国境、山々に設置された「トポリ」(ICBM)、「イスカンデル」といった、クレムリンにとっての多くの重要なものがあるからです。当然、クレムリンにとって、ブリヤートを手放すことは得策ではないでしょう。しかし、それは、私たちがクレムリンに同意していることは意味しません。私たちは、自由のために闘っていきます。

スタニスラフ・ススロフ・シベリア独立会議委員会副委員長 「シベリア独立承認検討の要請文を手渡した」

私は、今回の会合をとても気に入りました。欧州議会で開催された会合の時より、相互の関心は高かったとすら思えました。もしかしたら、それはいわゆる「ロシア連邦」のアジア部分が欧州部分より大きいことと関係するかもしれません。つまり、日本にとって、それらはより近しく、重要な隣人となるわけです。将来に投資環境が良くなった暁には、そこには協力する上での甚大な潜在力が存在することになります。

シベリア独立会議委員会を代表して、私は日本の議会に、シベリア独立承認の検討要請文を手渡しました。彼らがそれを検討するのか、するならいつか、というのは彼らが問題です。しかし、私はそれを渡さなければなりませんでした。ところで、類似の要請は、ウクライナ最高会議にも渡しています。

日本の議員とのやりとりを覚えています…。会合では、皆がよくスピーチを行いました。しかし、特に覚えているのは、イングリア代表のデニス・ウグリュモフ氏のものです。その演説を私たちのシベリア・ソーシャルメディアで公開したいです。

概して、「フォーラム」は発展しており、世界で支持者が増えています。ロシアが崩壊して複数の独立国家になることが不可逆的なことだということを、より多くの人が理解し始めています。もしロシア(編集注:全面)侵略の開始した時には、崩壊のメカニズムが始まったことを皆が信じていたわけではなかったですが、今は、それが理解されてきています。多くのことが、このフォーラムの活動のおかげなのです。

ルスラン・ガッバソフ・バシキール民族政治センター長 「ロシア連邦の崩壊は、クレムリンにとっては恐ろしくとも、私たちにとっては幸せ」

「フォーラム」だけでなく、日本から受けたものを合わせた全体の印象は、極めて良いです。この国に私は衝撃を受けたとすら言えると思います。会合そのものに関しては、ロシアの民族・地域運動の代表者と日本との直接のコンタクトが確立されたことが非常に重要でしょう。なぜなら以前は、私たちはもっと西側、EUや米国の方を見ていたのであり、日本や韓国といった重要な権威ある国々のことをどうやら忘れていたからです。その点で、日本は、ロシアとの間で、多様で複雑な対話の経験を持っており、それが私たちの相互理解を助けてくれています。繰り返しますが、この国との直接のコンタクトが確立されたことは、大きな成果です。

多くの興味深いスピーチがありました。私個人が最もよく覚えているのは、岡部芳彦教授のものです。彼は、本テーマを深く理解している人物です。私は、自分のスピーチにおいて、ロシアの将来の崩壊は不可逆的なプロセスであり、誰もそれを止めることはできないと説明しました。思うに、日本でもそのことは理解されはじめています。同時に、モスクワという名の「防壁」を回避した上で、シベリアや極東共和国、ブリヤート、ヤクート、私たちの共和国、バシコルトスタン、タタールスタンとの直接の関係を築くことが有益だとの理解も生じています。

ところで、現在のクレムリン、プーチンにとって、最も危険な敵は、リベラルなモスクワ中心主義的な野党ではなく、民族・地域運動です。崩壊は、彼らにとっては恐ろしいものでしょう! しかし、それは私たちにとっては幸せなのです。

世界の重要な「プレーヤー」を迅速に関与させる計画

フォーラム出席者の指摘に説明を加えなければならない。

まず、会合では結論文章として「東京宣言」が署名されている。その「東京宣言」には、フォーラム会合の出席者である、民族・地域解放運動の代表者と、日本の政治家や市民社会代表者が署名した。同「宣言」には、以下の3つの項目がある。(1)ロシア連邦の脱帝国化とロシア領に暮らす全ての民族の解放の道における協力、(2)ロシアが占領する日本の北方領土の問題の最終的解決、(3)日本・自由ユーラシア調整センター(FECCJ)の設立作業の開始、である。

興味深い文書であるし、この文書こそがモスクワにおいて最大の懸念を引き起こしたのだろう。これにより、8月7日、ロシア外務省が在露日本大使館に対して抗議している。この抗議で重要なのは、「日本側に対して、日本の国会議員が前述の会合に加わり、彼らがロシアの国家性と領土一体性の侵害を呼びかける総括『文書』にも参加したことは、私たちの国の内政干渉の試み以外にみなされることはない」との一文である。

このような不穏なモスクワの声明は、実際には1年と3か月しか存在しない存在の活動が効果的であると認めるものであろう。

同「フォーラム」の運営者の今後の計画を見るのはさらに興味深い。すでに、3、4の今後のイベントについて明らかになっている。第8回会合は、9月末〜10月初めにロンドンとパリで開催される。第9回会合は、10月末にイスラエルとトルコにて(なお、もしかしたら、カタールかアラブ首長国連邦といったアラブの国もあり得るという)。記念すべき第10回会合は、12月前半に、ベルリンとローマで(あるいは、イタリアの首都ではなく、オーストリアのウィーンというのも案だという)。ぎっしり詰まった計画と会合開催地の数の多さからは、多くの準備作業が必要だということがわかる。しかし、まだ漠然とはしているものの、来年早々には米国とカナダでも会合を開催するという計画もある。

このスケジュールからどのような総括が導き出せるだろうか。フォーラムの運営者たちは、ロシアの脱植民地化し、そこに存在する民族・地域を解放するという考えを世界の重要「プレーヤー」たちにできるだけ迅速に伝えるという方針だ。G7の全ての国を訪問するという計画がある。

同様に重要なのは、中近東路線が現れたことである。イスラム教徒の多い国の多くでは、ロシアやプーチンは、かなり人気である。同時に人々は、モスクワがイスラム教を信仰する民族(テュルク系含む)をどれだけ抑圧しているかを知らない。それは伝えると良い。そして、イスラエルへの訪問もまた、色々な点で興味深い。

この戦略は、非常に野心的だと言えよう。そして、その実現の成功を祈願したい。


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