ウクライナのNATO加盟には西ドイツ加盟モデルが例となり得る=オーストリア専門家

オーストリアの経済専門家であり、「オーストリア欧州的ウクライナ支持委員会」創設者のグンテー・フェリンガー氏は、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟の事例となり得るのは、1955年にNATOへ加盟し、その後経済発展を遂げた上で、ソ連に占領された領土を取り戻した西ドイツのモデルが例となるかもしれないと考えている。

フェリンゲル氏がウクルインフォルムへのインタビュー時に発言した(リンク先はウクライナ語)。

フェリンガー氏は、「あなたたちはリアリストにならねばならない。NATOにおける未来を得られるのは、自由なウクライナだけである。1955年にドイツ連邦共和国(編集注:西ドイツ)の事例でそうであったように、NATOへの加盟が可能なのは、被占領地のないウクライナだけなのだ。1955年のドイツ連邦共和国同様、ウクライナは、憲法上に国家統一の視点を維持することは可能だ。私は、遠い未来において、その(被占領地との)統一は、NATOとEUの加盟の結果として達成できると確信している」と発言した。

同氏は、NATOは「明確な国境の枠内においてのみ安全を保障できる」のだと指摘し、そのため、ウクライナは、被占領地との間のコンタクト・ラインに沿って国境を引くことを考えるべきだとの考えを示した。

そして、同氏は、「その国境は、44年の長い凄惨なソヴィエト占領下、東ドイツの粛清から逃れようとしただけで人々が亡くなった、独・独国境のように、平穏ながらも防衛下にあった国境でなければならない」と発言した。

加えて同氏は、NATOを「レコンキスタ(国土回復)のための道具」としてみなすべきではないとし、NATOとは実際には「更なるロシアの侵略から自由なウクライナのみを守ることができる」ものだと指摘した。

その上で同氏は、「私は、現時点では、ウクライナが分割されている、という事実を認めるべきであると思っている。私たちが二世代にわたり受け入れざるを得ず、共存の仕方を学ばざるを得なかったソヴィエトによる東ウクライナの占領と同じだ。しかし、最終的には、東のドイツ人の自由への意志は、ソ連の傀儡政権に対する恐怖を超えたのであり、彼らは占領地から、豊かで、安全で、自由な西ドイツへと逃げ始めたのである。ウクライナは、被占領地の住民にとって、彼らが足で投票したくなり、ロシアにより占領された地を離れ、欧州的ウクライナを選択するようになるまで、魅力的になるべきなのだ」と発言した。

なお、2008年のNATOブカレスト首脳会談にて、NATO加盟国首脳たちは、ウクライナとジョージアが将来NATOに加盟するという政治的決定を採択している。両国にとっての加盟に向けた次の段階は、加盟行動計画(MAP)の付与となっている。