現在の戦争は、私たち一人一人に影響を及ぼした。そして、この戦争の出来事と展望につき皆が自分の見方を有している。しかし、この戦争に勝利するには、何より専門家による専門的な発言を聞くことが必要であろう。今回、ウクルインフォルムは、最高会議国家安全保障・防衛・情報委員会第一副委員長であるミハイロ・ザブロツィキー中将に、ロシア大統領による部分的動員という大きな出来事の分析を伺った。
(以下、ザブロツィキー氏の論考)
9月21日、ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアにおける部分的動員発令という新たな節目を迎えることとなった。ウクライナ軍による現在の反攻に関して半分パニック的な報告が流れている中で、今回のロシア指導者の動員令は、ウクライナ領における出来事の展開についての報告としては、独特なものとならざるを得なかった。あらゆる全体主義的国家同様、ロシアでも、特に今回のような尋常ではない問題については、社会は指導者の見解や評価を聞かねばならないとされている。
プーチン露大統領の演説の形式は、あまり馴染みのない(編集注:大統領と国防相という)「デュエット」形式であった。感情的で、あちこちに嘘を織り交ぜたプーチン氏の演説を、ショイグ国防相が検証的演説で補完していた。主なロジックはシンプルだ。国防相が国民に対して、出来事の本質と今回の(部分的動員)決定の必要性を説明するのである。しかし、ロシア政治風の微妙な言い回しで言えば、これは「一種の計画的役割分担」である。通常、そのような分担を行うのは、今回のような問題のある出来事を成功させられるかどうかが、不確かであることが原因である。ここではまず、その不確かさのあり得る原因を簡単に整理し、ロシアの計画している方策の特徴を概説してみることにする。
この戦争は「対ウクライナ戦争」か「対集合的西側戦争」か
プーチン氏の演説の中において、もしかしたら唯一の正確だったかもしれない要素は、彼がこの戦争を「集合的西側」との戦争だと認めていることかもしれない。一見すると、それは「ウクライナだけであれば、私たちは確実に服従させられた」というような、ウクライナ国家に対する見下した態度を示しているようではある。他方で、そのような表現には、ある種の具体性もある。現在のようなウクライナのパートナー国が団結を維持しなければいけない状況下においては、「集合的西側」という表現は賞賛としても聞こえ得るのである。さらに、プーチンによるそのフロイド的な表現は、ウクライナが進歩的世界と共にあること、世界が少なくともロシア連邦に反対していることを改めて喚起させたのである。
ショイグ国防相によるいわゆる「特別作戦」時におけるロシアの損耗についての恥ずかしがりな承認と、数千キロメートルの前線の存在についての言及は、隣国領土への全面的侵攻のプロセスのあらゆる困難さを際立たせ得るものである。同時に、承認された兵の死者数が6000人というのは、予備兵30万人の動員が必要という発表との関係が不明である。
歴史的類似性も無視できまい。今回のような、外国の聴衆も意識した国内政治向けの行動は、1944年の「全面戦争」発表を強く呼び起こさせる。その演説は前世紀の最も血塗られた独裁者の一人が行ったものであった。
次に、動員そのものの複数の要素を見ていこう。
ロシアに必要な「砲弾の餌食」の数
ロシアの動員の本質部分の特徴に注意せねばならない。まず、ウクライナの今年の春の動員が、明らかに正しく、自然で、「戦うか、死ぬか」という厳しいジレンマの中で生まれたものであったに対して、ロシアの動員は全くもって異なる情報環境から作られたものであった。ロシアのプロパガンダ機関は、1年以上かけてそのような情報環境を作り出そうと必死に活動していたし、特に侵攻が始まってからは、さらに活発に活動していた。その中で、特に強力な後押しとなっていたのが、ロシア首脳陣による「特別作戦」の目的は不変であり、「作戦」の展開は「計画に従って厳格に展開されている」という、断続的な発言である。軍事問題からほど遠い、高等教育を受けていないロシア国民でさえも、少なくとも、「計画通り進んでいるのに、一挙に約30万人の徴兵が必要な作戦というのは一体何なのだろうか? もしかしてはなからそういう計画だったのか?」と自問自答することはできる。
部分的動員は発表されたが、それは、逆説的ながら、同時に弱点を示し得るものである。前述の通り、ロシア連邦軍への軍事的高度人材の迅速な補充を期待することはまず不可能である。占領軍の損耗が、主に後衛人材、技術分野人材、あるいは『高度技術』部隊の人員に関係しているという可能性は小さい。このことが意味するのは一つだけである。つまり、プーチン軍が予備役から必要としているのは、無人機操縦士や、IT専門家や、「イスカンデル」操縦士ではなく、必要なのは主に、広範で、技術習得のあまり困難ではない一般軍人、射手や機関銃手といったタイプの人員だということである。簡単に言えば、ロシア軍が必要としているのは、多分「砲弾の餌食」である。そのような人員を揃えるのは相対的に安価であり、大きな問題は起きず、比較的迅速に行える。
侵略国の潜在的防衛者の士気にも注意を向けるべきである。当然ながら、情報が閉ざされているために、ロシアの動員の実態を評価することができるのは、当該国の一部の専門家に限られる。しかしながら、部分的動員の発表はロシア現代史において初めてのことであり、外国で幻想のために死ぬという展望は、新しいロシアの世代を不安をもたらすことになった。その若い世代にとって、現在の対ウクライナ戦争の受け止め方は、良くて、プロパガンダ映画やロシアの報道における勝利宣伝で構成されているのであろう。第二次世界大戦やアフガニスタン戦争に関する扇動的映画のことは、この世代に関しては、もう考慮しなくても良いかもしれない。専門的軍人にとって「仕える」と「戦う」の概念に明確な違いがあるように、ロシアの今のところ文民の圧倒的多数の人々にとっては、「支持する」と「参加する」の間には著しい違いがある。
もちろん、誰が戦闘相手であるかを気にしないような、ロシアにいる無節操な「軍事ロマン主義者」たちを計算から除外することは適切ではない。また、典型的な傭兵のことも忘れるわけにはいかない。しかしながら、彼らの大半はすでにウクライナから、ポリ袋に入って(ロシアへ)帰国してしまったと考え得るだけの根拠がある。ロシア首脳陣が動員という不人気な決定を採択したこと自体が、そのことを最も雄弁に語っている。というのも、そのような決定に駆られる可能性がある唯一の理由が、やる気ある人材の不足だからである。
士気要因について話すからには、「一般の」動員についても思い出さないわけにはいかない。一般の動員とは、占領者によって複数回にわたってルハンシク・ドネツィク両州被占領地にて行われていたものであるが、いくつかの理由からして、その動員兵たちの士気が少なくともウクライナの動員兵より低くあってはならないはずである。しかし、現実は全く異なることがわかっている。いわゆる「DPR」「LPR」の第1・第2軍団における、昨日まで教師や炭鉱夫だった人々の憐れを感じさせる姿の動画のことは、皆が覚えているだろう。彼らは、行政境界線まで、あるいはその先まで、進軍することを目的に、強制的にウクライナとの戦闘に送られた者たちだ。ロシアの、例えば、極東からの愛国心あふれる予備役兵から、異なる何かを期待することは難しい。
もう一つの動員される者の動機として考えられるのが、金銭的関心である。そして、その場合、次のシンプルな疑問が生じる。2022年2月以降、あらゆるボーナス/褒賞/抵当権や社会優遇パッケージなどの物的優遇システムがロシアの契約軍人にとって大して魅力的なものとみなされていなかった中で、何十万の動員兵は何を期待できるのだろうか。
動員がロシアにもたらすものは何か
30万人の人員は、作戦上も戦略上も決して小さな数ではない。その数に深入りして、「計算上の師団」をもとに作戦を練ることはやめよう。他方、私たちが、よりシンプルで、ただし厳然とした軍事的計算を省いて考えることもできない。前述のような兵員数なら、およそ60個から100個の混成旅団を構成できる。ご存知のとおり、全ては任務上の課題や配置された人員に左右されるものである。そのような、ロシアの能力にとっても非現実的な部隊編成の展望を恐れるのはやめよう。動員で徴兵された者たちは、損耗、とすでに存在する部隊の人材不足の穴埋めのために分けられる。その一部は、新しい部隊編成のために送られる可能性もある。私たちは、確実にロシアの参謀本部の考えを把握している。そのため、相対的客観性のために、前述の30万人を半分に割ってみよう。その場合、潜在的旅団の数は30個から50個に減る。真ん中を取って、40個としよう。
そのような空想上の編成も、決して瑣末なものではない。その編成は、ロシア司令部に、追加的に80〜120個の大隊戦術群の編成を可能にさせるのだ。そのような数の部隊は、今年の春のロシア侵攻軍の数と一致する! しかし、何千もの軍服をきた人間は、旅団でも大隊でもない。主要な問題は次のものとなる。40の混成旅団とは、およそ最大1200両の戦車、4000台の歩兵戦闘車もしくは走行兵員輸送車、約1600門の砲台と多連装ロケットシステムである。問題は2つからなる。それらはどこから現れるのだろうか? それらはどのような種類で、どのような状態なのだろうか?
1つ目の質問への回答は、おそらくシンプルだ。「ロシア領内の基地、倉庫、弾薬庫」である。評価上の数値では、ロシアは前述の数以上の混合部隊にも装備を与えることが可能である。2つ目の質問への回答は、はるかに難しい。最新、あるいはそれほど古くない、歩兵戦闘車BMP-3と戦車T-72B2は、4月から急速に姿を消し始めている。初夏以降は、ロシア占領軍に補填される戦車や歩兵戦闘車は、T-62、BMP-1、MT-LBとなっている。それらの「超長期保存」の後の部品の完全性、技術面の状態、使用可能性は、別の問題である。明らかに、ロシアの軍事品の在庫は、前世紀中期のタイプのものですら、当然無限ではないのであり、ロシアの司令部は自らの願望を抑制せざるを得ないのだ。
ロシアの部分的動員の(今のところ潜在的な)結果の中で、私たちにとって最も危険であり、敵にとっては動員実施の正当化根拠となっているのは、1つだけである。それは、ウクライナ領に部隊を投入する場合、その数がどのような数であろうと、ロシア司令部は、クラウゼヴィッツ戦略原則における、自らの得意とする1つのことを実行することが可能となる。それはすなわち、「選択地点への戦力集中」である。前述のような規模であれば、ロシア軍の士気や水準、練度や装備といった問題は脇に置くことが可能となる。それはウクライナ軍にとって極めて破滅的な弊害となる可能性がある。おそらく、ロシア司令部の戦争遂行継続計画は、やはり、能力ではなく、数を頼りにしたものなのだろう。そのため、私たちが、今のうちに予防策を取っておくことは全くもって適当である。
ロシアの部分動員の結果はいつ前線で感じることになるか
やはり、時間という要因が大きく影響する。動員は、国家レベルの他のどのようなプロセスと同様に、何よりも時間が必要なものだ。最低限の経験、組織面の努力、現場の汚職が影響を及ぼす。当然、最近のロシア国家院への戒厳令下の徴兵拒否に対する刑事責任強化の提案提出は、全く偶然ではない。ロシアで予備役が過度に熱狂していると考える根拠はないのであり、通告、集合、軍事基地への移送には、少なくとも1、2か月はかかるのではないか。動員された者に最低限必要な訓練しかしない場合であっても、少なくとも1か月は必要だろう。一般的な運用計画では、ロシア司令部が動員の実質的結果を期待できるのは、今年の12月より前とはならない。当然、緊急方策だとか、準備の無視だとかによって、この期間を短くすることはできるものの、しかし部分的動員が近い将来に衝突ラインの状況に影響を与える可能性が小さいことは明白である。
ロシア指導部の動員に関する決定の真意は、人的リソースを合法的に、実質際限なく入手することにあるのだろう。ロシアの場合、伝統的な秘密主義によって、動員方策の実際の規模を隠すことは、全く難しいことではない。動員人数は、発表された30万人をいとも簡単に、しかも気付かない内に超えてしまうこともあり得るだろう。そして、公式な情報源を使えば、必要かつ都合の良い情報を提供することは、自国軍の本当の損耗数を低く報告するのと同じぐらい簡単にできるのだ。
客観的数字以外にも、この発表した動員によってロシアの指導部がさらされるある種の軍事・政治的リスクも指摘しておかねばなるまい。動員の結果として、侵略国の軍隊には、昨日まで民間人だった者が数十万人補充されることになる。その者たちの一部は、自分の人生やロシアの発展の方向性について、何らかのイメージを持っているだろう。そのイメージが、ロシア指導部の宣言する見方と完全に一致するとは限らない。ロシア社会では抗議ムードは概して低いと考えられているが、そのような条件下では何かを明確に予測することはかなり困難である。前世紀初頭には、第一次世界大戦の前線に立つことを望まなかった部隊が、ロシアの歴史の中で2回にわたり主役の座を占めているのだ。
あとがきにかえて
以上のことは、私たちを安心させることもなければ、ロシアのさらなる半端な決定を甘く見ることも可能にさせるものでも決してない。私たちは、強く、卑劣で、自らの目的達成を目指す敵と対峙している。敵側には、リソース面での優位、巨大な経済的能力、自らの行動を正当化する大きなイデオロギー的基盤がある。敵は、もしかしたら、自らの侵略的思索を実現する手段を模索する中で、限度を認識していない、あるいはその限度を知らないのかもしれない。その中で、私たちが参考にすべきは、中国の戦略家・思想家の孫氏の教えの一つである。「戦争遂行上の原則は、敵が到来しないことを期待するのではなく、自分が敵と対峙する際に手にしている物を頼ることである」