ドナ・フローズ ウクライナでボランティア活動を行うカナダの元歴史教師
私は前線へ行って、武器を手にすることはできない。しかし、私は助けることはできる
30.04.2024 13:20

キーウのトロイェシチナ地区のボランティア・センターを訪れた際に、カナダ人のドナ・フローズ氏と出会った。彼女は、退職した元歴史教師で、ウクライナが敵を倒すのを助けるために、2度にわたって大西洋を越えてきた方だ。

元歴史教師のフローズ氏は、退職した直後の2023年の夏にウクライナへやってきた。「ロシアが行っていることは、間違っている」と彼女は断言する。フローズ氏は、今は、世界史における分岐点であり、誰もがその行く末に影響を及ぼすことができると考えている。

何が彼女をウクライナ支援へと向かわせたのか。ドナ・フローズ氏がウクルインフォルムに語った。

聞き手:イヴァラナ・フリツューク(キーウ)

写真:ドナ・フローズ本人、イヴァラナ・フリツューク


フローズさん、あなたはどこからウクライナへ来たのですか?

私はドナと言います。カナダの北アルバータから来ました。カナダはとても美しい国です。私は、世界で一番美しい国だと思っています。でも、ウクライナもとても美しい国です。

私は、退職した歴史教師です。私が世界で何よりまず、正しい事と正しくない事に注意を向けます。そして私は、歴史が何度も繰り返す様子を見ています。ロシアがウクライナに対して行っていることを見ています。2014年よりもずっと前、前世紀の1930年代のウクライナがスターリン支配下にあった時代のホロドモールのことは皆が知っています。ロシアが行っていることは間違っています。私は、今は、世界の歴史における分岐点の1つが生じているのだと思っています。

あなたは、どうして今危険なウクライナへ来ることを決めたのですか?

ただ見るだけ見て、何もしないということはできないと私は思っています。私は、何かを行うことが大切だと思います。私たちはできる全てのことをしなければいけない。

私は、前線へ行って、武器を手にすることはできません。私にはその経験はない。しかし、私は助けることはできます。そしてこれが私の助ける手段なのです(編集注:彼女が行っているボランティア活動のこと)。

ウクライナを訪れたのは初めてですか?

いいえ、最初にウクライナを訪れたのは2012年でした。キーウ、イヴァノ=フランキウシク、リヴィウを観光しました。

私の暮らすアルバータには、多くのウクライナ人家族がいます。そして、私の叔母は、ウクライナ人と結婚しました。だから、私には繋がりがありますが、私はウクライナ人ではありません。

2014年、ロシアがウクライナに対して行ったことについて、私はとても怒っていました。しかし、その時私は仕事でベトナムにいました。私は、ベトナム・ハノイの国連国際学校(UNIS)の国際学士号プログラムで中学校の教師をしていました。歴史、グローバル政治、認識理論を教え、課題論文のコーディネーターをしていました。生徒たちを大学へ入学させるための準備です。

2023年6月に退職して、8月にはもうここ、ウクライナへ来ていました。11月までボランティアを行い、クリスマスには短期間の休暇で一時帰国をしました。その後、またウクライナへ戻ってきました。ここには6月までいて、夏にはまた家族の下を訪れます。そして、おそらく、8、9月にまたここへ戻ってきます。

今は、キーウとザポリッジャの間で時間を過ごしています。

ザポリッジャでは、私は、「マジック・フード・アーミー」というウクライナの慈善団体で働いています。私たちは、暖かい食べ物を作り、北から南までの前線全域の特殊部隊にそれを配膳しています。

キーウでは、慈善団体「ムラシュキ」に通っています。そこでは、長持ちする携帯食を作っています。朝ごはん、ボルシチ、スープ、メインディッシュ、それからりんごとナッツのデザートやビスケットが最前線や、戦闘課題を遂行しており、食事を調理する機会のない軍人のところへ送られています。

戦争が続いている国に滞在するのは怖くないですか?

怖くないです。私はただ、世界がウクライナを助けられる全てのことを行わない可能性を心配しています。

ブチャ、マリウポリ、アレッポ。それは、ロシアが止められない場合に起こることの事例です。ウクライナにおける戦争は、世界がようやくプーチンを止められるかもしれない初めてのチャンスなのです。ロシアは止めなければならない。

プーチンは完全な独裁者です。彼は、欲しい物を奪います。そして、彼はその実行の際に、残虐さを用います。もし何かが得られなければ、彼はそれを破壊します。彼は、ジョージア、チェチェン、シリアでそのように行動しました。

そして、ウクライナは、私たちが世界として彼にグローバルに対峙するチャンスが生じている、最初の場所です。そして、それは部分的にはウクライナ人のおかげなのです。

ロシアが侵攻した日、ゼレンシキー氏には逃げ出す機会がありましたが、彼は「武器をくれ!」と言いました。私がベトナムにいた時、彼が自撮りした「大統領はここにいる。閣僚も皆ここにいる。私はどこへも行くつもりはない。これは、私たちが全体主義体制に我慢することはないと世界に対して述べることのできる、私たちのチャンスなのだ。私たちは民主主義を、人権を信じており、それを守っていく」と述べる動画を見ました。

シリアにいる人々は、そうすることができなかった。

「アラブの春」は、変化にとっての素晴らしい機会でしたが、アサドやその地域の政治家は、世界が支援をもって介入することを認めませんでした。そして、プーチンがその国を破壊したのです。私はそこへ行ったことがあります。非常に美しい国でした。しかし、彼は、自分が現れるところを全て破壊するのです。そして彼は今後もそうしていくでしょう。そして、キーウでもそうしようとするでしょう。彼はキーウを破壊しようとしています。

だから世界は、団結しなければなりません。人々は、ウクライナを助けるためにあらゆることを行わねばならないのです。

1人の人が状況を変えることができると思いますか?

1人の人が、世界が変化のために必要とする、全てです。もしあなたが世界の変化を望むなら、あなたは、自分で何かをしなければなりません。変化とは、私たちが毎日行う、全ての小さな行動の中にあるものです。あなたは、変化を何度も目にすることになるのです。

歴史を見れば、変化とは、何か、ボランティアや、何かしらの行動を始めた1人の人の行動です。そしてそこに努力が加わります。最初は1人の人でも、その後また1人、さらにまた1人と増えていき、そうすることで変化が始まるのです。

ボランティアは、自分のできる全てのことを行っています。ここへ来て、りんごや鶏肉を切り、あるいはおかゆのための調味料を測ります。彼らは、自分ができること全てを行っています。

フローズさん、あなたの素晴らしい支援と気配りに感謝します。私たちウクライナ人は、そのような行動を目にすると、大いに勇気づけられます。私たちは最後まで、勝利まで立ち続けます!

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