アウジーウカ、9年目の戦争
アウジーウカの人々は次の冬に向けて薪を集め、予備の水を用意している…。
執筆:オリハ・ズヴォナリョヴァ
写真:ドミトロ・スモリイェンコ
ウクライナ東部ドネツィク州アウジーウカ。ここが戦争の前にどんなところだったかは知らない。初めてここに来た時にはもう、町には無傷の建物は1つも残っておらず、通りにはほとんど人がいなくなっていた。
私たちは、アウジーウカにヴォロディーミル・モノマフ公記念第53独立機械化旅団の同行を得て到着した。彼らは、アウジーウカ周辺の防衛をしており、同市に対して、ロケット弾、空爆を文字通り注ぎ、火砲で砲撃してくるロシア人に立ち向かっている。
アウジーウカの入り口に立つ町の名をかたどった構造物の上には、ウクライナ国旗がたなびき、吊るされた「プーチンかかし」が揺れている。町に急いで入る。爆発音が聞こえるが、すぐ慣れる。ずっと聞こえているからだ。
私たちは、人々の間で「壁画の小道」として知られる通りに止まった。2021年、キーウ、オデーサ、ハルキウ、イヴァノ=フランキウシクから来た有名なアーティストたちが、その通りの集合住宅の壁に様々な壁画を描いたのだ。建物自体は損傷していたが、その壁画の大半は残っていた。ただし、その建物の瓦礫の下には人が、いや、より正しくは、遺体が埋まったままになっているらしいのだが…。
瓦礫の下から遺体が引き上げられていない理由
町に到着してから最初の数分は、少し恐ろしかった。太陽の光、陽気、鳥の鳴き声。しかし、通りには人が一人もいない。建物の窓の奥には、生活のかけらすら見えない。
幸いなことに、中庭に警察の「白い天使」部隊がやってきた。「白い天使」は、住民の避難を行ったり、人道支援、資材、食料品を配ったりしている特殊部隊だ。
同部隊のヘンナジー・ユジン氏は、「現在市内には12歳の少年が1人残っているが、両親が彼を隠している。その少年を見つけ出すためにあらゆる可能なことを行っている。彼の母親には、成人した子供たちもいる。娘の1人はポクロウシクに、もう1人はドニプロに住んでいる。彼らは動画を撮り、私たちに渡した。私たちは、母親が息子を彼女たちのところに明け渡したがるように、その動画を彼女に見せた。しかし、彼女は頑なに拒むのだ。市内には、放棄されたアパートがたくさんあり、彼らはそこに隠れている。前に住んでいた場所なのか、放棄されたところなのか、住所から判断することは難しい」と説明した。
この特殊部隊「白い天使」のホットラインには、人々が時々電話をかけてきて、避難を予約するのだという。例えば、私たちが訪れた日(5月5日)には、警察は3名の住民をドネツィク州内の別の町ポクロウシクへと連れて行き、その後軍行政府が彼らを避難電車に乗せ替えて、彼らは中部のウーマニやベルディチウへ向かうことになっていた。
ユジン氏は、「3月には、町には2000人が残っていた(編集注:全面侵攻が始まる前の人口は4万1000人)。現在、市軍行政府の計算では、1760人だ」と伝えた。
彼はまた、市内の状況は、ロシア人がアウジーウカに対して空爆と誘導爆弾を放ち始めた2月末から悪化したと述べる。彼らは通り過ぎた後に多大な破壊を残していく、と。
ユジン氏は、「彼らは集合住宅を1つ1つ攻撃している。私たちの計算では、市内の瓦礫の下に3名の人の遺体が埋まっている。その遺体を引き上げることはできない。市内には、建設用機材がなく、コンクリートの板を持ち上げられる物がないからだ。今日、住民がそういった瓦礫を掘り返し、私たちの公共サービスの電力事業者の遺体を引き上げたと伝えた。1週間前に砲撃があり、砲弾が電力事業者たちの作業場に着弾したが、男性はその中にいた者だ」と説明した。
会話のための時間は少なかった。「白い天使」は、明るい内に市内を回らねばならず、誰か脱出を決めた人がいたら、安全な場所に連れて行かなければならないからだ。
誕生日
破壊された建物の写真を撮っていたら、通りを歩き、何かについて非常に元気に議論をしている女性2人を見かけた。アウジーウカでその日の仕事を始めた際、ここの住民については「控えめに言っても彼らは記者との対話を望んでいない」と警告されていた。それは覚えていたものの、それでも試しに女性たちに話しかけてみた。彼らは、写真を撮られるのは頑なに拒否したが、やりとりには応じてくれた。
「地下で暮らしている。地下室は自分たちで整えた。神様のおかげでお店も営業している。ケーキを買った。友人が誕生日なのだ。今お祝いしに行くところだよ」と、スヴィトラーナという名前の年上の女性が言う。
私が避難したくないのかと尋ねると、彼らは「どこに行くというのだ? 誰かがどこかで私たちを待っているとでも? 1、2週間だというなら出て行っただろうが、しかし、これはもう9年間続いているのだし、これに終わりは、多分、ないのだ。ロケット弾は私たちのところに頻繁に飛んでくるようになった。1日に2回だ。ほら、建物は入り口がなくなっている。先週着弾したのだ。瓦礫の下には女性が埋まっている。彼女は引き上げられていない。同じ日にまた、別の5階建て住宅にもロケット弾が着弾した。(そこでは)1人は(瓦礫の下から)引っ張り出されたが、もう1人は引き上げられていない」と答える。
もう一人の女性の名前は、アンジェラという。地元の病院で衛生士として働いているという。そして、病院で暮らしているという。なぜなら、彼女の家にもロケット弾が直撃したからだ。
アウジーウカの現在
2人の女性は、市内では携帯の電波はどこにでもあるわけではないが、店は営業しており、水は井戸から持ってきており、電気は発電機から取り、暖炉で料理をしていると述べる。ニュースは、ラジオか親戚から聞いているという。
スヴィトラーナさんは、「私たちの集合住宅には8つの入り口があり、そこに8人暮らしている。隣の建物には、4人だ。誰もいない建物もあれば、15人も住んでいる建物もある。お金がある者は出て行った。残っているのは、行くあてもなく、お金もない者だ。私は、カードは、娘がアパートを借りれるように、彼女にあげたよ」と言う。
素敵な町だったが、今はここで暮らすのは恐ろしい
隣の通りで、プラスチック容器で水を家へ運んでいる数人の住人を見かけた。彼らの集合住宅の入り口の近くでは、太陽の光で薪が干されていた。女性は、ガラスや瓦礫を寄せ集めている。
リタさんは、「私たちのバルコニーが崩れたので、全部片付けてしまった。3月13日の衝撃波で、建物が損傷した。文明的な物で残っているのは(薪)ストーブだけだ。12月末に設置したのだ。12月24日に最初に使った。たくさん薪を食うけど、今は、暖を取るか、料理を作る時にしか火をつけていない。冬は暖かくて、助かったよ」と述べる。
リタさんは、息子のオレクサンドルさんと暮らしている。二人は、アウジーウカから60キロ離れた自治体に親族がいるが、しかし、どこにも行きたくないと言う。
オレクサンドルさんは、「戦争は、2014年から聞いている。静かな時期もあったし、人々は少しずつ建物を再建してきていた。しかし、現在起きていることは、当時ですら見たことのないものだ。1つ1つの建物が、少なくとも1度は被弾している。私たちのところは2回。屋上が焼けた。隠れるところはどこにもない。どこへ隠れるというのだ? 私たちは、『DPR』側から飛来するのを聞いている。廊下に出て(終わるのを)待つようになった」と述べる。
二人は、ミサイルで半壊した近くの建物を見せてくれた。アパートにはほとんど残っていない。瓦礫の下には、女性が埋まっているという。掘り出すための物はない。
リタさんとオレクサンドルさんは、1階に住んでいる。隣人は、3階だ。人々はもう次の冬に向けて薪を集めており、水の予備も汲んでいる。
少し先に行くと、「伝説の」食料品店が見つかる。「伝説の」というのは、私たちがやりとりした人皆が、その店のことを話していたからだ。入ってみよう。中には、短い行列があり、棚には明かりがついており、食料品の入った冷蔵庫は電気が通っている。発電機が稼働しているのだ。ここでは、パンから電池まで、何でも買うことができる。
お店のオレクシー・ミコラヨヴィチさんは、「人々は撮ったらだめだよ。棚や値段は好きなだけどうぞ」と言う。
彼は、買い物客は段々少なくなっており、やってくるのは大半が高齢者だという。
オレクシーさんは、「私は、ドネツィクの炭鉱で働いていた。ここで生まれ、学び、ずっとここで暮らしていた。ここにあったのは町ではなくて、『都』だった。私たちは皆、あらゆる意味で素敵だった。12分も行けばドネツィクに行けた。こんなことが起こり得るなんて、一度も考えたことがなかったよ。最悪なのは2016年だと思っていたが、違った。グラート、迫撃砲弾…そんなもの、ミサイルや空爆に比べれば、大したことはなかった…」と述べる。
破壊され、窓がなくても「自分の家」
もう町を出ようとしていた時だ。崩れかけ、焼けこげた集合住宅に、数人の人がまだ暮らしているのを見かけた。男性の一人が、写真を撮るなと叫ぶ。なぜなら、撮られると後でミサイルが飛んでくるからだと言う。私たちの仕事で「飛来」の有無は左右されないなどと否定することはやめておいた。それから数分後、男性は、私たちに再び話しかけてくる。彼は、今度は「新しい命」を皆に見せるよう勧めてきた。
彼は、「ほら、猫のクシューシャと赤毛の子猫だ。最近産んだんだ。私は、彼らを日なたに持ってきて、後で家の中に連れて戻るんだ。私たちの家は、2回攻撃を受けた。1回目は7月、2回目は10月だ。2回目は炎上した。2回ともグラートだった。2回とも、家の中に人がいた時だった」と述べる。
男性は、町の様子、ミサイルで揺れる建物の中での生活がどういうものなのか感じるために、1週間でも暮らしてみると良いと提案する。そして、隠れるところなどここにはないとも言う。地下で女性が生き埋めになって、助け出せなかったことがあるため、その後人々は地下にもあまり降りたがらないという。
彼は、もう親族とは8か月会っていない、オンラインでだけ話していると述べる。彼は別れ際に、私の手にキスをしてこう言った。「ここには自分の家がある。破壊され、窓もないが、自分の家なのだ。」