【MH17裁判】マレーシア航空機撃墜事件とりまとめ

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2020年3月9日、マレーシア航空機MH17撃墜事件の裁判が、オランダのスキプホール裁判コンプレクスにて始まった。

マレーシア航空機撃墜事件とは、2014年7月17日、アムステルダムからクアラルンプールへ向かっていたマレーシア航空機MH17がウクライナ東部ドンバス地方上空で武装集団により撃墜され、乗客・乗員合計298名全員が死亡した事件をいう。犠牲者のうち、80名が未成年であり、またオランダのヴィレム・ヴィッテヴェーン国会議員や、HIVとの闘いの研究をしていた研究者や医師が100名近くや、世界保健機関(WHO)のグレン・トーマス報道官も亡くなっている。

亡くなった人々を国籍別で見ると、オランダ国民が192名(内、1人が米国との二重国籍保有者)、マレーシア国民が44名(内15名が乗員、2名が幼児)、オーストラリア国民が27名、インドネシア国民が12名(内1名が幼児)、英国民が10名(内1名が南アフリカ共和国との二重国籍保有者)、ドイツ国民4名、ベルギー国民4名、フィリピン国名3名、カナダ国民1名、ニュージーランド国民1名となっている。

犠牲者の半数以上がオランダ国民であったことから、2014年7月24日、ウクライナは、本件の捜査権をオランダに移譲。被害者の遺体は、検死のためにオランダに運ばれた。

ウクライナ、オランダ、オーストラリア、ベルギー、マレーシアは、国連安保理に対し、マレーシア機墜落事件裁判のための国際刑事法廷の設置を要請。しかし、2015年7月29日の国連安保理会合にて、ロシア連邦が関連決議案に対して拒否権を発動した。

MH17事件共同捜査グループ(JIT)に参加しているのは、オランダ、オーストラリア、ベルギー、マレーシア、ウクライナの5か国。

ウクライナ政権は、事件発生当初から、MH17は、ロシアから持ち込まれ、武装集団あるいはロシア軍人により用いられた地対空ミサイル・システム「ブーク」のミサイルにより撃墜したと主張していた。

2015年10月、オランダ安全委員会は、MH17墜落事件の最終的技術報告書を発表し、同機の撃墜は、地対空ミサイル・システム「ブーク」から放たれた9N314M型弾頭であることを報告した。その際、ティーベ・ヨウストラ安全委員会委員長は、オランダのマスメディアに対するインタビューにて、MH17を撃墜したミサイルは武装集団が支配していた地域から発射されたと述べている。

同時に、国際調査報道チーム「べリングキャット」は、撃墜に用いられた地対空ミサイル・システム「ブーク」のシリアルナンバーから、同システムがロシア軍第53対空ミサイル旅団に所属することを特定。更に、べリングキャットは、ソーシャルメディアやオープンリソースにもとづく独自調査から、MH17撃墜に関与した20名のロシア軍人を特定する報告書を作成した。これら露軍人の氏名・写真の掲載された同報告書は、オランダの検察に送付されている。

2019年6月19日、国際共同捜査チーム(JIT)は、MH17撃墜を撃墜した「ブーク」の輸送・発射に関与したとみられる4名の容疑者の名前を発表した。その4命中3名がロシア国民であり、1名が元ロシア連邦保安庁(FSB)将校で、元いわゆる「DPR国防相」のイーゴリ・ギルキン(ストレルコフ)、大佐で、同機撃墜時点は露軍参謀本部情報総局(GRU)大佐、いわゆる「DPR/GRU」のトップのセルゲイ・ドゥビンスキー、中佐、GRU特殊任務部隊所属のオレグ・プラートフである。4人目は、ウクライナ国民のレオニード・ハルチェンコで、「DPR」側で戦闘に加わっていた人物である。この4名は皆、国際指名手配の対象となっている。彼らが今回の裁判審理に出廷する可能性は低いと見られているが、それにより審理が妨げられることはない。

2020年3月9日、マレーシア航空機MH17撃墜事件の裁判がオランダ・ハーグから約50キロ離れた場所に位置するスキプホール裁判コンプレクスにて始まっている。