チェコはソ連によるクリミアからのクリミア・タタール人追放のジェノサイド認定を検討する=チェコ大統領
チェコのパヴェル大統領は、1944年のソ連政権によるクリミアからクリミア・タタール民族全体を追放した政策を同民族に対するジェノサイドとして認定する問題をチェコ議会と協議する意向を示した。
4月30日、パヴェル大統領がウクライナ訪問後の記者会見時に発言した。ウクルインフォルムの特派員が伝えた。
パヴェル氏は、クリミア・タタール人はソ連のスターリン政権時代から非常に長い間ロシアの弾圧を受けていると指摘した。また、自身がウクライナを訪問した際に、同民族の代表者たちが、チェコが1944年のクリミア・タタール人のクリミアからの追放をジェノサイドとして非難することを要請したと伝えた。
そして同氏は、「過去に、真の良心からジェノサイドと呼び得る出来事があったのだが、ソ連ではそれは『移送』と呼ばれていた…。その移送にはジェノサイドのあらゆる兆候があった」と述べ、本件につきチェコの国会議員と話し合うと補足した。
同氏は、ソ連にチェコスロバキアが占領された1968年のプラハの春の時に、クリミア・タタール人がチェコスロバキアへの支持を示してくれたことを喚起し、チェコ人はそのことを忘れてはならないと強調した。
これに先立ち、4月28、29日、パヴェル・チェコ大統領は、チャプトヴァー・スロバキア大統領と共にウクライナを訪問していた。
なお、1944年、ソ連政権は、クリミア・タタール民族全体をクリミア半島から中央アジアに追放した。(通称「ラヴレンチー・ベリヤの数字」と呼ばれる)ソ連公式のデータでは、追放されたクリミア・タタール人の数は18万3144名だが、クリミア・タタール人側はそれ以上の20万〜40万の人物が追放されたと主張しており、また追放後の最初の1年半で民族全体の約46%が死亡したと言われている。
ウクライナでは、毎年5月18日が「クリミア・タタール民族虐殺犠牲者追悼の日」と「クリミア・タタール民族権利闘争の日」と定められている。