ウクライナ軍を見て感じたのは「自由」 解放を迎えたバラクリヤの人々
ロシア「解放者」から解放されたバラクリヤは、水と電気の供給を再開しなければならない。ウクルインフォルムの記者は、バラクリヤと周辺自治体の住民たちに一時的占領をどのように乗り切ったのか尋ねた。
筆者:ユリヤ・ルチツィカ(ハルキウ州)
写真:ヴヤチェスラウ・マジイェウシキー/ウクルインフォルム
近郊の村では、人々は畑の作物を頼りに生き延びた
バラクリヤに隣接するヴェルビウカ村の住民たちは、先に南部のヘルソン市が解放されると思っていたと述べ、そのためウクライナ軍人の到着を目にした時には信じることができず、(ロシア人には発音の難しいウクライナ語の単語である)「パリャヌィツャ(паляниця)」と発音させたり、標章を見せるよう求めたりしたと述べた。
村人たちは、村が前線から近いことから、頻繁に地下に避難していたというが、他方で戦闘がない時には畑の世話をしていたと述べ、その畑によって占領を生き延びることができたと語る。また、ボランティアの人たちが色々な手段で村に支援物資を持ってくることもあったという。
村の住民のイリーナ・デレヴヤンコさんは、占領下の生活について語りながら涙を流した。寝たきりの母親がいることから、イリーナさんは村から脱出することは考えず、夫とともに村に残ったと述べた。村人たちは、占領者たちとは、できるだけ接触しないようにし、通りにも滅多に出なかったと述べる。
デレヴヤンコさんは、「私たちの通りは、皆残っていた。私たちは皆解放を待っていた。(占領の)最後の日、私たちはもちろん喜んだ。砲撃が始まったので、地下に長い間隠れていた。夫とは『多分、外に出たら、周りの建物はもう何も残ってないだろう』と話し合っていた。少し静かになって、夫が我慢できなくなり、外に出てみると、通りの建物は何も破壊されてなかったのだ」と語った。
しかし、ヴェルビウカでは、ロシア軍が撤退の際に、おそらく悪意から、学校を完全に破壊している。その学校は、バラクリヤ共同体にある村の一般教育施設の中では最大のものだった。侵攻が始まるまでは、そこには303人の児童が通っていた。現在、その半数以上の235人がその学校のリモート授業を受けており、残りはウクライナの他の学校に通っているか外国にいる。
ヴェルビウカ学校のアラ・ニクリナ校長は、「学校は、占領者たちがやってきた途端に略奪された。床板すら剥がされて、塹壕のため持っていかれた。破壊は、おそらく苛立ちから行われたのだろう」と述べる。
バラクリヤ市 残った住民は3分の1
過去数日バラクリヤ市中心部は賑やかで、人々は人道支援を受け取ったり、互いに話し合ったりしている。国営郵便「ウクルポシュタ」も年金の受け渡しを再開した。
バラクリヤ市民のナタリヤ・ザサドチェンコ氏は、感情いっぱいに大きな声で、どのようにウクライナ軍を迎えたかを伝えた。
「私は市の外縁の通り沿いに住んでいるので、私たちの軍が町にやってくると、車両が見えたので、私は畑を飛び越えて走って行った。その車両の上に若者たちが座っているのが見えた。彼らに手を振ったたら、彼らは旗を広げた。それが何と嬉しかったことか! 幸せで鼓動が高鳴った。神よ、私たちの人々が戻ってきた、と。」
しかし、バラクリヤ市民のその喜びは、占領による陰鬱な町の姿とも切り離せない。
イジューム地区軍行政府(編集注:バラクリヤを管轄)のステパン・マセリシキー長官は、「解放のニュースを聞いた最初の喜びは、その後に生じた他の気持ちで変わってしまった。なぜなら、町にやってきて、人々を見てみると…。町の人々はこの半年ですっかり老け込んでしまった。医療もなく、当たり前の食事もなかったのだから」と述べる。
マセリシキー氏は、ロシア軍の被害者の数は全くわからないとし、行方不明になったままのバラクリヤ市民がいると伝えた。同氏は、「人によっては、ロシア領を通じて欧州に脱出できた者もいる。しかし、バラクリヤで侵攻直後に行方不明になってままの者たちがおり、私たちには今日まで彼らに関する情報を持っていない」と述べた。
バラクリヤ市には、侵攻前には2万8000人の住民が暮らしていたが、地元当局の評価では、現在は8000〜1万人程度となっているという。市民は、3月2日にバラクリヤが占領されると、町から逃げ出していたし、ロシア侵略軍は占領するとすぐに男性に対して粛清を始めたという。家宅捜索、逮捕、嫌がらせ、そして、外出禁止令は午後2時に始まっていた。住民たちは、電気も水も通信もない中で暮らしていた。
市議会教育課長のスヴィトラーナ・シュヴィド氏は、市民は激しい圧力や脅迫、暴力を受けていたが、敵と協力することに同意したものは、数えるほどの教師のみだったと述べる。
シュヴィド氏は、「私は、同僚たちを誇りに思っている。(対敵協力に)同意したのは本当に1、2人だったし、彼らはもうバラクリヤから出て行った。しかし、そのせいで校長たちは苦しんだ。校長たちは拷問部屋へ連れて行かれ、3日間ずつ拘束され、その後町の外に連れていかれたのだ」と伝えた。
バラクリヤでは、法執行機関がすでに戦争犯罪の捜査を開始している。9月13日、ロシア人が占領最後の数日に市の中心の検問所にて殺害した2名の死人の遺体の検死を行った。
「指揮官オフィス」で行われた電圧拷問
国家警察ハルキウ州総局捜査局長のセルヒー・ボルヴィノウ氏は、ロシア占領者は警察署に拷問部屋を作り、「指揮官オフィス」と呼んでいたと述べる。そこにて、占領者たちは捕まえた住民に暴行を加えていたという。法執行機関は、ここで1名の住民が死ぬまで暴行を受けたことが確実にわかっていると伝えた。
ボルヴィノウ氏は、「人々は殴られ、拷問され、指先に電圧を流されていた」と述べる。占領者たちは、ある者についてはウクライナ軍支援を疑い、ある者については単に反テロ作戦/統一部隊作戦の参加者の親族ということが根拠で、ある者についてはウクライナ国旗が見つかったことで拘束されたという。
ロシア軍が撤退した時点で、約40人の住民が食料と水のないその場所に監禁されていたという。人々は、扉の上の小さな窓を割り、被拘束者の一人がそこから這い出て、それから全員を解放したという。
アルテム氏は、その拷問部屋に46日間捕まっていた人物だ。弟の軍服を着た写真が見つかったことで、彼は連行されたという。
アルテムさんは、「彼らは通りで武器をくまなく探していた。武器はたくさんあったのだ。家に入ってきて、引き出しを漁り始めたら、軍服姿の弟の写真を見つけられた。『これは誰だ?』『弟だ』『軍役か?』『そうだ』『なら、連行だ』というやりとりだった。目が覆われ、最初は町中に連れて行かれた。どこかに到着した。どこにいるかわかったのは、閉じ込められてからだ。(拘束場所では)皆、誰かが先に外に出た時に親族に伝えてもらうために、互いに住所を伝え合っていた。なぜなら、誰もが、親族に居場所を伝えられずにいたからだ。19日目に解放された男性が私の母に、私が市内にいて、生きていることを伝えてくれた」と述べた。
彼の言葉によれば、朝6時と夜18時、拘束されていた部屋から頭にズタ袋を被された上で、トイレまで連れて行かれたという。食事は1日2回、塩の入っていない粥。また時々、ロシア軍人の食事の後に余ったスープも出されたという。
アルテムさんは、「もし(ロシア)兵らが食べ残したら、私たちのところでは『お祝い』になるのだ。7人に対して1つの皿が出された。私たちは、それを回し飲みした。1人スプーン3杯だ」と伝えた。
また同氏は、拘束されていた者の中には、特に心の強い者がいて、彼らが互いに励まし合っていたとし、彼らがいなければ我慢できなくなっていただろうと述べた。
アルテムさんは、「彼らは人々の殴られた跡が目立たなくなってから解放していた。町の人が何が起こっているか気が付かないようにするためにだ。しかし、もちろん皆わかっていたし、話し合っていた」と伝えた。
そしてアルテムさんは、自身が解放されてからも、また当局者が彼のところに来るだろうと思っていたと述べた。ウクライナ軍がバラクリヤ市を解放した時に何を感じたかと尋ねると、アルテム氏は笑顔で、目を輝かせながら「自由だ」と答えた。
ウクライナ政権は社会システムの復旧を急ぐ
これまでの経験を思い出し、町の破壊を見た後では、政権にも、バラクリヤ市民にも、勝利の恍惚感はなさそうである。この先、多くの仕事が待ち受けており、しかも冬までの時間は少ない。
オレフ・シニェフボウ・ハルキウ州軍行政府長官は、バラクリヤ共同体の電力ネットワークの一部は、軍事状況が許しさえすれば、今週中にも再開される予定だと述べる。1か月後には、バラクリヤの電力供給は完全に回復されるという。シニェフボウ氏は、全ての重要インフラは非常モードで稼働していると強調する。
マセリシキー地区行政府長官は、現時点で市議会はバラクリヤへ公共企業職員を戻らせようとしているとし、「(当初)公共企業職員は給与を受け取らずに仕事をし、市の機能を維持しようとしていた。すると、彼らに対して、脅しが始まったため、町を出られる者は逃げて行った。今、彼ら皆を呼び集めており、重要インフラの復旧のために戻ってくるようお願いしているところだ」と述べた。
占領者によって激しく傷ついたのは、社会設備も同様だ。医療問題は難題だ。マセリシキー氏は、「バラクリヤ地区には、今では教育施設も救命・産科センターも診療所もなくなり、完全修理の必要のない物は何もなくなっている。とても残念なことに、全てがひどい有様で、略奪され、破壊されている。私たちのところには、州で最高の病院の一つがあったのだ。現在その病院は砲撃を受けて、略奪もされています。最新の機材も持ち出されてしまった」と嘆いた。
バラクリヤ市は、ウクライナ軍が最近の大規模なハルキウ州脱占領作戦を始めた町である。マリャル国防次官は、同市は作戦のために特別に編成されたグループにより解放されたと述べる。
マリャル氏は、バラクリヤにて、「町の解放には、特別作戦軍、国防省情報総局、陸軍の部隊が参加した。ロシア人は、ここで敗北し、キーウ州解放時と同じような振る舞いをした。彼らは、敗北を認識したら、作戦計画を変更すると述べては、逃げ出しながら、あらゆる物を置き去りにするのだ。輸送手段に始まり、武器やパンツまで。キーウ近郊時と同様、ロシア軍は退却しながら、自分の後ろに地雷を設置し、橋を壊していく」と発言した。
現在、ハルキウ州解放作戦は継続している。今回の作戦で、9月13日時点で、ウクライナ軍は、300以上の自治体を解放した。