ゼレンシキー宇大統領、ロシアの全面侵略戦争開始1年で演説

ゼレンシキー宇大統領、ロシアの全面侵略戦争開始1年で演説

動画
ウクルインフォルム
ウクライナのゼレンシキー大統領は2月24日、ロシアの全面侵略戦争開始から1年が経過したことに合わせて、ウクライナ国民に向けてオンライン演説を行った。

大統領府がゼレンシキー大統領の演説動画を公開した。ウクルインフォルムによる全文の日本語仮訳は以下のとおり。


偉大なウクライナの偉大な民よ!

1年前のこの日、この場所でおよそ朝7時、私はあなた方への短い声明を出した。長さは67秒でしかなかった。その声明では、2つのその時点での最も大切なことを述べたが、それらは今でも大切だ。それは、ロシアが私たちに対して全面戦争を始めたこと。そして、私たちは強いということ。私たちがあらゆることへの準備ができているということ。私たちは誰にでも勝つということだ。なぜなら、私たちがウクライナだからだ!

そうして2022年2月24日が始まった。私たちの人生において最も長い日だった。私たちの現代史において最も困難な日だった。私たちは朝早くに目覚め、その時から寝ていない。

ある者は恐怖を感じ、ある者は衝撃を受け、ある者は言葉を失った。しかし、皆が、何をすべきは感じていた。道には渋滞ができたが、しかし多くの人が手に武器を持って進んでいた。行列ができた。ある者は国境へ向かったが、しかし、多くの人が軍事委員会と領土防衛部隊に向かっていた。

私たちは白旗は掲げず、青と黄の旗を守り始めた。恐れず、挫けず、降伏しなかった。そのシンボルとなったのが、ズミーニー島の国境警備隊員と彼らが「ロシアの軍艦」に伝えた航路であった。

私たちの信念は強まった。私たちの心も強めた。私たちは、初日、全面戦争に耐え切った。私たちは、明日何が起こるかは知らなかったが、しかし、いつでも次の日も戦わねばならないことは、確実に理解したのだ!

そして、私たちは戦った。そして毎日を戦い抜いた。私たちは2日目を耐え切った。そして、3日目も。私たちが生き残れると予想されていた3日間をだ。彼らは、72時間後には私たちは消滅すると脅していた。しかし、私たちは4日目も耐え切った。そして、その後は5日後も。そして、今日でちょうど1年間、私たちは耐えているのだ。そして今もまだ、次の1日も戦わねばならないことを知っている。

私は、私たちの抵抗を支えている人たち皆に感謝している。私たちの防衛者皆だ。ウクライナ軍、陸軍、海兵、戦車兵、空軍、海軍、火砲、防空、空挺兵、情報職員、国境警備隊、特別作戦軍、保安庁、国家警護隊、警察、領土防衛部隊。私たちの安全保障・国防戦力皆だ。あなた方のおかげでウクライナは立っている。私たちは怒りの月、戦争の怒りの始まりを耐えた。

そして、春が来た。新たな攻撃、新たな傷、新たな痛み。皆が私たちの敵の本当の内側を目にした。マリウポリの産院、劇場、ミコライウ州行政府庁舎、ハルキウの自由広場、クラマトルシクの駅への爆撃。ブチャ、イルピン、ボロジャンクを目にした。世界全体が、「ロシアの世界」が本当は何を意味するのかを明確に認識した。ロシアが何をできるかを。

同時に世界は、ウクライナに何ができるかも目にした。それは新たな英雄だ。キーウ防衛者、アゾフスタリ防衛者。街全体が示した新たな偉業。ハルキウ、チェルニヒウ、マリウポリ、ヘルソン、ミコライウ、ホストメリ、ヴォルノヴァハ、ブチャ、イルピン、オフティルカ。英雄都市。不屈の首都。新たな象徴。それとともに、ウクライナに関する新たな評価や予想がある。

戦争の最初の1か月。戦争におけるあらたな転換点。世界によるウクライナの受け止め方の最初の変化。ウクライナは3日間倒れなかった。ウクライナは世界の第2の軍を止めたのだ。

私たちは新たな攻撃を毎日受け、新たな悲劇を毎日知っている。しかし、毎日他の人のために全力を尽くしている人たちのおかげで耐え抜いたのだ。

それは、前線での負傷兵を救い、砲撃の中で手術を行い、シェルターで出産を支援し、何日間何週間と勤務している私たちの医療従事者だ。毎日24時間体制で瓦礫の下や火事の中から人々を救っている私たちの救助隊員や消防隊員もだ。そして、戦争開始以降、睡眠も停止もなく何百万人を非難させた鉄道関係者もだ。

それから最初の進軍、最初の成果、最初の解放した領土だ。最初であり、最後ではないチョルノバイウカ。キーウ州、スーミ州、チェルニヒウ秋からの占領者の追放。私たちのストゥフナ、ヴィリハ。私たちのネプトゥーンと底に沈む巡洋艦「モスクワ」。最初の「ラムシュタイン」会合。そして史上2回目のレンドリース。

ウクライナは世界を驚かせた。ウクライナは世界を鼓舞した。ウクライナは世界を驚かせた。ウクライナは世界を鼓舞した。ウクライナは世界を団結させた。何千の言葉を述べて証拠とすることもできるが、少しの言葉でも十分だ。ハイマース、パトリオット、エイブラムス、アイリスティー、チャレンジャー、ネイサムス、レオパルト。

私は、私たちと1年間一緒にいてくれた私たちのパートナー国、同盟国、友好国皆に感謝している。私は、国際反プーチン連合が、もう1つの呼びかけが必要となるほどに成長したことを嬉しく思う。私はその呼びかけをもうすぐ行う。必ず。

私はまた、私たちの「外政軍」にも感謝している。私たちの外交官・国際機関代表者師団に対してだ。占領者に国際法の火砲や剣で立ち向かい、新たな制裁を要求し、テロ国家をテロ国家に認定することを求める者皆にだ。

戦争は、多くの家族の運命を変えた。私たちの家族の歴史を書き換えた。私たちの慣習と伝統を変えた。以前は、祖父が孫に、どのようにナチス主義者を倒したかを話していた。今は、孫が祖父に、どのように露シスト(編集注:ロシア+ファシストの造語)を倒しているかを話している。以前は、母と祖母は、マフラーを編んでいたが、今は迷彩ネットを編んでいる。以前は、子供たちはサンタにスマートフォンをお願いしていたが、今や貯金を明け渡し、私たちの戦士のためにお金を集めている。

1年で、ほぼ一人一人のウクライナ人が誰かを失った。父親、息子、兄弟、母親、娘、姉妹。愛する人。親友。同僚。隣人。知人。哀悼を捧げる。

ほとんど誰もの電話の中に、もう2度と電話に出ない連絡先が1つはある。「どうしてる?(Ти як?)」とのSMSに返事をしない。その2つのシンプルな言葉は、戦争1年で新たな意味を帯びた。毎日何百万人のウクライナ人が何百万回とその質問を親族や近親者や書いたり口にしたりしている。毎日誰かが返事を受け取っていない。毎日占領者が私たちの親族や近親者を殺してきた。

私たちは、電話からも記憶からも彼らの名前を削除しない。私たちは彼らを決して忘れない。私たちはそれを決して許さない。私たちは、ロシアの殺人者が然るべき罰を受けない限り、落ち着くことは決してない。国際法廷による罰。神の裁き。私たちの戦士の裁き。あるいは、その全てをひっくるめたものだ。

判決は明白である。9年前、隣人が侵略者となった。1年前、侵略者は拷問者、略奪者、テロリストとなった。私たちは、彼らが責任を負うことを疑っていない。私たちは、私たちのことを勝利が待ち受けていることを疑っていない。

夏、私たちはそれを感じた。私たちが戦争の100日を経験した時だ。私たちはEU加盟候補国地位を受け取り、ズミーニー島を取り返し、クリミアにて最初の「木綿」(編集注:爆発の意)を聞き、占領者の倉庫やアントニウシキー橋への花火を見た。

8月は、占領者がウクライナの町を一つも制圧しない最初の月となった。脅迫と「非ナチ化」の最後通牒は、「善意のジェスチャー」へと変わった。私たちはその時、私たちの勝利は不可避だと感じたのだ。勝利は近い。勝利は訪れる。

そして秋が来た。私たちの反攻だ。イジューム、バラクリヤ、クプヤンシク、リマン、ヘルソン州、ヘルソン市が解放された。私たちは、人々がそこで私たちの軍人をどのように出迎えたかを目にした。どのようにウクライナ国旗を守っていたかを目にした。ウクライナをどのように待っていたのかを。

今私は、今もまだ待っている人たち、一時的被占領下に今いる私たちの国民に呼びかけたい。ウクライナはあなた方を見捨てていない。あなた方のことを忘れていない。あなた方のことを諦めていない。いずれ私たちは私たちの大地を全て解放する。わたいたちは、ウクライナが戻れるようにあらゆることを行う。現在仕方なく国外にいる人たち皆には、私たちは、あなた方がウクライナに戻れるようにあらゆることを行うと言う。それが可能となるように行動する。

私たちは戦い、一人一人の被拘束者を取り戻していく。そして、そのこと全てが勝利となるのだ。

私たちは勝利を暗闇の中でも目にしている。恒常的な大規模ミサイル攻撃、停電があろうとも。私たちは、その勝利の光を目にしている。

2022年2月24日の最初の感覚の記憶として、人々は衝撃、痛み、不安を口にする。全面進行から1年後、95%が勝利を信じている。私たちがウクライナについて感じている主な感情は、「誇り」だ。1人1人のウクライナ国民についての。私たち自身への誇りだ。私たちは、大きな軍隊になった。私たちは、誰かが見つけ、誰かが箱に入れ、誰かが運んで、皆で貢献するというチームになった。

私は、人々に感謝し、必要なものを全て集めて持ってきてくれる、私たちの何百万人のボランティア軍、無関心でない国民の軍に感謝している。

私たちは一体となった。私たちの記者とメディアは、嘘とパニックに対して戦う統一前線となった。

私たちは一つの家族となった。その中には、他人とか知らない人はいない。ウクライナ人は現在、皆が仲間だ。ウクライナ人はウクライナ人をかくまい、自らの家と心を戦争から逃れざるを得なかった人に対して開いたのだ。

私たちは、全ての脅迫、砲撃、クラスター弾、巡航ミサイル、自爆型無人機、全面停電、寒さの全てに耐えている。私たちは、それらよりも強いのだ。

この1年は、強靭さの1年だった。無関心ではない1年だった。勇気の年だった。痛みの年だった。希望の年であり、忍耐の年だった。団結の年だった。

不屈の年だった。怒りの不屈の年だった。

主な総括は、「私たちは耐え切った」ということだ。私たちは負けなかった。そして、今年、勝利するためにあらゆることを行う!

ウクライナに栄光あれ!


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