ウクライナ軍人、東部ネスクチュネ村奪還戦を語る
公開された動画「ウクライナの証言(Український свідок)」では、ドネツィク州ネスクチュネ村が写っている。同村は、6月初旬にウクライナ軍領土防衛部隊第129旅団第7独立大隊「アレイ」の軍人たちが解放。同大隊は、ヘルソン州で自らの戦いを始め、その後ザポリッジャ州の敵の撃退を行い、さらに2023年3月初旬からはドンバス地方で戦っている。
大隊副指揮官のコードネーム「ヘルソン」は、「私たちには敵を学ぶ時間があった。私たちは準備をすることができた」と述べる。
ウクライナ軍のドンバス地方における今後の反転攻勢において、ネスクチュネが重要な理由については、軍人たちは、同村がロシアの強化防衛地点だったからだと説明する。占領軍は、地元の学校から地域を観察することができた。そこはロシアにとっての「要塞」であり、彼らの本部であった。その地点に対して、ウクライナ軍は、高機動ロケットシステム「ハイマース」や対艦ミサイルで攻撃。そこには、ロシアの第60海兵隊旅団がいた。正規軍も、「民間軍事会社ヴァグネル」戦闘員も、「DPR」戦闘員もいた。「ヘルソン」いわく、敵は特に襲撃最初の24時間、激しい抵抗を行ったが、その抵抗は抑えることができたという。
その村へ進むための道は一本であり、占領者は装甲車の進軍を待っていたという。それは特に、ロシア軍が海兵隊に対して、対戦車ミサイルシステム「コルネット」で攻撃したことからわかるという。コルネットは、そのような目的の武器ではない。
ウクライナ軍人は、敵を欺き、10〜12人の少数のグループごとに進み、それぞれが自らの地点を制圧。ネスクチュネ襲撃時のウクライナ側の損耗は大きくないが、それでも出ており、残念ながら襲撃開始時に部隊の兵士が1人が戦死したという。
作戦遂行時、大隊は9名のロシア人を拘束。また、軍人たちは、機関銃、アサルトライフル、対戦車兵器などを多く鹵獲したという。
ネスクチュネ襲撃の所要時間は2.5日間。結果、「アレイ」軍人たちはロシア軍を同自治体から追い出すことができた。現在、同村は解放されており、ウクライナ国旗がたなびいている。村の周りには、襲撃を受けて死亡したロシア軍人の死体が横たわっており、現在ウクライナ軍人が死体の回収を行っている。