本日、ウクライナは独立記念日
ウクライナ独立記念日は、1991年にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国最高会議が、ウクライナ国家の新しい地位を定める「ウクライナ独立宣言」を採択したことを記念し、毎年8月24日に祝われている。
ウクライナは、この独立までに長い道のりを歩んできた。ウクライナの国家形成の歴史は、長い伝統を有している。それは、アント人の国、ルーシのポリャーネ族の統合、その後のキーウ(キエフ)を中心とするルーシ国への団結から始まる。キーウ・ルーシの崩壊後は、国家性の継続はハーリチ=ヴォリーニ公国へと移った。その後のリトアニア=ルーシ大公国では、キーウとヴォリーニの地は大きな自治権を有していた。
17世紀、現代のウクライナの地では、コサック国家の形成が進む。100年以上に渡り、コサックたちは独立をめぐって戦ったが、結局その夢が叶うことはなかった。18世紀、ウクライナ人たちは自らの国家性を失い、その後の200年を二つの帝国、ロシアとオーストリアの領内にて過ごすことになる。
19世紀から20世紀初頭、ウクライナの民族運動が発展していく。これが、1917〜21年の「ウクライナ革命」、そしてウクライナ国家の再生をもたらす。中央ラーダ政権は、第三ウニヴェルサルにてウクライナ人民共和国の成立を宣言し、第四ウニヴェルサルにてその独立を宣言する。1919年、「統合文書」にて、ウクライナの地の統一が示される。しかしながら、ウクライナ人民共和国は、国家としては長く存在できなかった。ウクライナ人たちは、自らの国家を有す機会を失い、20世紀の終わりまで待たねばならなかった。
1991年、モスクワでの8月のクーデターが失敗に終わると、ウクライナに及ぶ危険、そして1000年の歴史ある国家形成の伝統を背景に、1991年8月24日、共和国最高会議がウクライナの独立、独立国家「ウクライナ」の成立を宣言する。
これは、ウクライナ国家が、ウクライナ憲法と法律しか効力を持たない自らの不分割かつ不可侵の領土をを有すことを意味した。それは、ウクライナは、自らの国家性の防衛を行い、全ての自国民の権利と自由を保証し、ウクライナのみが自国の天然資源を利用することができ、独自に自らの経済を運営し、自らの通貨・金融システム、貨幣を有し、独自に外政を執り、隣国との間で平等な関係を確立し、科学、教育、文化を独自に発展する、ということである。
1991年の終わりには、ウクライナは、あらゆる形式的観点からも、独立した国家に変貌していた。国際社会は、短い期間に独立ウクライナの国家承認を行った。ウクライナの完全な独立は、1991年12月1日の国民投票実施後に確立した。その際、独立を支持した国民は、90.32%。国民投票にて、ウクライナ独立宣言が支持することで、国民は、この宣言に真の効力を付与し、国の新たな歴史を開始させたのである。