30年前の今日、ウクライナは国家主権宣言を採択
ウクルインフォルムが伝える。
同宣言の前文には、「共和国政権のその領土内での統治、自律、完全性、不可分性、また外交関係での独立と平等」が宣言されている。宣言では、ウクライナの民の名を代表できるのは最高会議のみと記述された他、現存の国境でのウクライナ領は不可侵だと宣言された。また、ウクライナの民のみが、ウクライナの国家の資源を管理し、利用し、使役できる権利を持つと強調された。
最高会議はまた、国家は、自らの軍、国内軍、国家治安機関を有す権利があると宣言した。ウクライナは、核兵器を拡散せず、製造せず、増強しない義務を自らに負うと述べた。また、宣言では、ウクライナの将来の外政は中立的なものとし、優先課題はウクライナの国益保障だと定められた。
実質的には、この宣言は、共和国立法確立とソヴィエト連邦法からの独立に向けた基盤を作り出すものであった。しかし、この宣言は、憲法的地位を有していなかった。ウクライナは、ソ連構成国であり続け、国際機関や諸国もウクライナを独立国として承認しなかった。その理由は、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国最高会議にソヴィエト連邦からの同共和国の離脱を決定する権限がなかったこと、つまり、ウクライナ社会主義共和国の独立を宣言する権限がなかったことにある。ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法とウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国憲法によれば、共和国の民のみが、共和国権限全体の支配者として、国民投票によってそのような決定採択の権利を有するとされていた。国際法規範もまた、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国最高会議に、国民投票の実施を義務付けていた。
ウクライナ国家主権宣言は、その後1991年8月24日に最高会議によって採択される「ウクライナ独立宣言」にとっての基盤となった。8月24日、ウクライナは、独立国家であることの実質的に2度目の宣言を行い、ソ連邦の構成から最終的に離脱したのであった。そして、1991年12月1日、全ウクライナ国民投票にて、人々は国家の独立を支持した。
なお、ウクライナの最初の独立記念日は、国家主権宣言採択の翌年である1991年7月16日に祝われている(現在の独立記念日は8月24日)。