ロシア軍拉致のウクライナ人記者解放
被占領下ウクライナ南部ヘルソン州カホウカにて、12日からロシア軍に拘束されていた記者オレフ・バトゥーリン氏が解放された。
20日、アンティペンコ記者がフェイスブック・アカウントに報告した。
アンティペンコ氏は、「占領者は、オレフ・バトゥーリン記者を解放した。彼と話した。友の声が聞けてとても嬉しい」と書き込んだ。
バトゥーリン氏本人は、何が起きたかにつき、親族のオリハ氏に伝えた。
バトゥーリン氏は、「かなり痩せた。とても汚れている。疲れた。3月12日17時、カホウカ・バスターミナルで捕まった。暴行を受けた。侮辱された。脅された。殺すと言われた。ほぼ8日間だ。187時間の拘束だった。ほぼ食べ物はなかった。数日間は水もほとんどなかった。石鹸もなかったし、替えの衣服もなかった。自分がどこにいるかわからなかった。しかし、彼らは、何のためにそれをしているかはっきり理解していた。彼らは、(私を)破壊し、踏みにじりたかったのだ。どの記者もこういうことになると示したかったのだ。お前も消される、お前も殺されるぞ、と」と伝えた。
同氏は、拘束される前に、外国や国内の他の大きな町へ行くことはできたとしつつ、しかし、自分は自分の人生をもって、小さな町でも生きられる、自分の努力で町をよくすることができることを証明したかったのだと述べた。
同氏は、「カホウカは理想的な町ではないかもしれない。しかし、カホウカは私の故郷なのだ。私は、カホウカのことがとても好きだ。ここには、価値を共有する私の友がいて、私の近しい人々が住んでいる。私が誇りに思うたくさんの人がいる。私の心は常にあなたたちと一緒だ」と強調した。
バトゥーリン氏は、拘束時、頭を下に向けた状態か、頭を何かで覆われた状態でほぼ8日間過ごさなければならなかったと伝え、ロシア側が顔を見られるのを怖がっていたのだろうと述べた。
これに先立ち、3月12日16時に知り合いがバトゥーリン氏に電話をかけ、二人は同記者の住居の近くのバスターミナルで会うことに決めた。16時30分にバトゥーリン氏は家に携帯や身分証明書を残したまま家を出て、20分後に戻ると約束したが、そのまま戻らなかった。
その後、地元の人々は、16時50分頃に、バスターミナル近くでロシア軍人を見かけたと話していた。