ロシアが交渉で日本とウクライナに提示する条件は似ている
安倍首相は、これまでの妥協による交渉の進展が見られないにもかかわらず、本当に5月9日にモスクワを訪れるのだろうか。
2月7日の北方領土の日、キーウ(キエフ)のフレシチャーティク通りにて、「日本との連帯」との名の下で10人程度の小さな集会が行なわれたが、一方で、日本では同日、共同通信が、安倍首相がモスクワにて5月9日に開かれる対独戦勝75年式典に出席し、更にはプーチン露大統領との会談を行なうべく、ロシアを訪問する方針を固めたと報じていた。
共同通信は、安倍首相は「停滞する北方領土交渉の打開を図りたい考え」だとした上で、政府関係者が「首脳間対話を進める良い機会。断る選択肢はない」と述べていると報じた。
同式典について、ロシアのメディアは、5月9日には、フランス、チェコ、インド等の首脳が出席すると報じている他、ドナルド・トランプ米大統領の出席の可能性にも言及している。あたかも各国首脳は、5年前と異なり、もはやウクライナの立場を考慮していないように見える。
ロシアが日本とウクライナに提示する受け入れられない条件
多くの識者が予想していたとおり、日露の北方領土返還・平和条約締結交渉は行き詰まりを見せている。安倍とプーチンは、昨年6月の大阪会談で、平和条約締結プロセスの開始を発表することができなかったが、同会談に向け、安倍首相が結果を求めて焦っていたのは明らかであった。平和条約締結後の2島のみの返還が記載された1956年の日ソ共同宣言へ回帰したことは、その最たる例であろう。
妥協をもってしても大阪までに日露が合意できなかったというのは、安倍が自らの任期から逆算した政治的「締め切り」に間に合わなかったことを意味する。平和条約の国会での議論・批准には、少なくとも2年はかかるであろうが、安倍の任期は2021年9月までだからだ。領土返還・平和条約締結交渉がうまくいかなかった理由については、今年1月24日に谷内正太郎前国家安全保障局長がBSフジ番組内で説明している。谷内氏は、昨年9月の退任まで対露交渉に携わっていた人物である。同氏は、その番組への出演時、ロシアが北方領土・平和条約締結交渉において、「まず領土について何も書いていない平和条約を結んで、その上で領土問題を議論」しようという2段階論を求めていることを明らかにしている。谷内氏が説明したロシアが日本に提示していた条件は次のような内容である。
(1)2段階論。まず領土の言及のない平和条約締結。それから、領土問題を議論。
(2)日本が第二次世界大戦の結果として北方領土がロシア領となったことを認める。
(3)日本に駐留する全ての外国軍隊の撤退。
その上で、谷内氏は、「なかなか展望は開けない。何らかの前進を見るために他にやることがあるのかというと、ない」と断言している。
この3つの条件が、日本政府にとって容易に受け入れられないものであることは明白であろう。同時に、興味深いのは、これら条件が、ロシアがドンバス・クリミア問題にてウクライナに対して求める条件とも類似している点である。
例えば、(1)の2段階論。これは、言い方を変えれば、重要な行動の順序を意図的に引っくり返したものである。ウクライナ情勢で言えば、ドンバス被占領地にてまず選挙を実施し、現地に特別地位を付与し、それからウクライナ・ロシア間国境の管理回復について議論を始めるべき、とのロシアの主張がこれに当たる。
次に、(2)の不法行為を合法とみなすべし、という条件。これは、2014年3月のクリミアでの違法ないわゆる「住民投票」実施とその結果を、ウクライナ政権に対して合法と認めるよう迫るようなものである。
(3)でロシアが念頭に置くのは、米軍である。日本にとっての米軍との同盟は、安全保障上の基本である。ウクライナに関して、この日米同盟にあたるようなものはないが、強いて言えば、ロシアによる、ウクライナに北大西洋条約機構(NATO)加盟を断念させるような言動が同条件に対応するものであろう。
ウクライナ社会では、これら3つの条件は政権が決して越えてはならない「レッドライン」とみなされている。
谷内氏は、2013年に国家安全保障局が設立されて以来、昨年まで同局長を続け、安倍首相に近いと言われてきた人物であるが、同時に、ロシア関係に関しては、両者の見解は異なると伝えられていた。その谷内氏が、なぜロシアの条件をテレビ番組で明かしたのか。真意は定かでないものの、ロシアの条件を社会に示すことで、如何にそれが日本にとって危険であるかを知らしめ、日本政府によるこれら条件の検討の余地を狭める意図があったのかもしれない。
谷内氏の後任の警察庁出身の北村滋氏は、外交経験が浅く、報道によれば、安倍首相の対露外交を忠実に実行するだろうと言われている。
更なる保証なき妥協のおそれ
北村氏は、今年の1月16日にモスクワ郊外のロシア大統領公邸でプーチン大統領と会談している。報道によれば、プーチン大統領はその際に、安倍首相と「いつ、どこで会談し、協議を続けられるか話し合いたい」と述べたと言う。その後の30日に安倍首相が参院予算委員会で5月のモスクワでの戦勝75年記念式典に「出席を検討する」と述べたことを考えれば、タイミングからして、プーチン氏から北村氏に対して安倍の戦勝式典出席が強く提案された可能性は否定できない。
安倍が領土問題・平和条約交渉の打開を目指して5月にモスクワへ渡航する場合、日本はどのような「打開策」が用意できるのであろうか。それにつき、谷内氏は、他にやることはないと述べている。ここで、2月7日の北方領土の日、東京都内で開かれた北方領土の返還要求全国大会における、安倍首相のあいさつに注意を向けたい。安倍首相はその際、「領土問題の解決と平和条約の締結の実現という目標に向かいひたすら進む」と述べている。これは、2013年から19年まで毎年「領土を解決してから平和条約締結」と順番を明示してきたのと異なり、領土と条約の順番に触れなかったため、話題となった。
これにより、日本政府がロシアの提示する条件の一つである、前述の「2段階論」、すなわちまず領土の言及のない平和条約締結、それから、領土問題を議論するという条件を検討しているのではないかという疑念が生じることとなった。その後、茂木外相が領土問題を解決して平和条約を締結する方針に変わりはないと、その可能性を否定する発言をしているが、それでも首相が「北方領土の日」に例年と異なり行動順序を明言しなかったことは重い。言うまでもなく、「2段階論」の問題は、平和条約締結という目的を達成したロシアが、領土交渉に戻る保証が一切なく、ロシアの善意にすがる案であることだ。ウクライナでは、前述のとおり、被占領地選挙の後の国境回復は「レッドライン」とみなされている。領土を占領した国の善意をナイーヴに期待などしてはならない、というわけだ。
安倍首相は、本当にそのような妥協を検討している/していたのだろうか。政府が内部で検討する事項というのは、通常ぎりぎりまで明らかになることはなく、安倍のあいさつの真意は不明だ。しかし、それでもどうやら、安倍は5月9日の対独戦勝記念式典には参加するようである。もし参加するならば、日本の首相の同式典出席は、2005年以来となる。
他方で、ロシア政権の北方領土返還の意思が一切ないことが明らかになるにつれ、日本国内では、この安倍の式典出席を含めた妥協的行動に対して批判が強まっている。谷内氏のロシアの条件提示は、社会に対する警告の効果を持っている。2月12日には、小泉悠・東大先端科学技術研究センター特任助教が、道新東京懇話会にて、ロシアのプーチン大統領が平和条約交渉の障害として、日米安全保障条約を挙げていることにつき、日米同盟の弱体化やクリミア問題を巡る対露制裁の日本による緩和が狙いだと指摘し、ロシア側には現時点で領土問題を解決させる気はなく、交渉の進展は困難との認識を示している。
ウクライナにとってのロシア戦勝記念式典の問題
ロシア戦勝記念式典について思い出すべきは、2015年の70周年式典である。同式典は、ロシアによるウクライナ東部侵略とクリミア占領が継続していることを受けて、G7の首脳は全員ボイコットした。同式典に出席したのは、わずか20か国の首脳に過ぎず、国連事務総長や中国、中央アジア諸国の首脳しかモスクワを訪れなかった。これは、2005年の60周年式典にて日本を含む60か国の首脳が赤の広場に集まったことと比べれば大きなコントラストとなっていた。G7諸国の欠席が、経済面の対露制限措置と並ぶ、政治的制裁の意味合いを持っていたことは間違いない。そして、対露制裁はそもそも、ロシアのウクライナに対する行動を変えさせるために科されたことを忘れてはならない。
しかし、ロシアは当時から行動を改めておらず、クリミア占領もドンバス戦争も続いたままである。他方で、世界各国首脳の一部が5月9日のボイコットを止めようとしている。報道によれば、安倍首相の他、フランスのマクロン大統領などが出席を検討しているという。
更に、ウクライナの視点から見れば、プーチン大統領にとっての戦勝記念式典が重要な外政上の作戦であることは明らかである。プーチン氏の目的は、国際社会に対して、ウクライナやシリアに送られていたロシア軍部隊を見せつつ、各国の首脳に対しては、それが現在の世界秩序なのだと知らしめ、そしてロシアと西側の間には、過去数年間「小さな誤解」があったが、そのような「誤った対立」はそろそろ忘れて、ともにこれまでの「秩序」を維持すべきだと説得することであろう。同時に、「作戦」の観点から忘れるべきではないのは、この戦勝式典に、2015年の式典開催時同様、アブハジアや南オセチアの非承認国家「首脳」が出席し、安倍首相らと並ぶ可能性があり、更には、ウクライナ南部の被占領下クリミアのロシア占領政権のセルゲイ・アクショーノフ「首相」や、東部の違法武装集団「ドネツィク人民共和国」「ルハンシク人民共和国」の「首長」が出席する可能性すら否定できないことである。
そのような戦勝式典にG7各国首脳が出席すれば、その結果、ウクライナにとって今も喫緊の課題であり続けている、クリミア脱占領問題や東部戦争終結問題に対する国際社会の注意が逸らされることになる。言うまでもなく、その問題解決プロセスには、否定的な影響が及ぶ。
そのような事態を防ぐために、ウクライナは何ができるか。
少なくとも、国際場裏の様々な場面で、クリミア・ドンバスの占領・侵略が続いていることを喚起し、そのような状況下での5月9日のモスクワの式典への各国首脳の潜在的参加に対しては、はっきりと懸念を伝えるべきである。また、その後のキャンプデービッドのG7サミットにプーチン大統領をゲストとして招待するという案に対しても、改めて受け入れないものとして、釘を刺しておくべきであろう。その案は、昨年、複数の首脳から聞かれた。
同時に、ウクライナが、受動的に行動するだけでなく、自ら能動的に動くことも重要だ。例えば、ウクライナでは、5月8日が「追悼と和解の日」と定められており、第二次世界戦争の終結が祝われている。このキーウの終戦記念式典に各国の首脳を招待することを検討しても良いのではないか。ひょっとしたら、戦勝国の内の一国に自国領の一部を約75年間占領されている国をはじめ、多くの国にとって、モスクワの戦勝記念式典よりも参加しやすいものとなるかもしれない。
平野高志、ウクルインフォルム