クリミア・タタール人追放犠牲者追悼の日 ゼレンシキー大統領が国民向け動画メッセージ発表

ゼレンシキー大統領は、5月18日の「クリミア・タタール民族虐殺犠牲者追悼の日」に合わせ、ウクライナ国民に向けて、クリミア・タタール人の痛みは「彼らの痛み」ではなく「私たちの痛み」なのだと訴える動画メッセージを公開した。

ウクライナ大統領府広報室が伝えた

ゼレンシキー大統領は、1944年5月18日にクリミア・タタール人のクリミアからの強制追放が始まったことを喚起しつつ、「今日、ウクライナは、クリミア・タタール人虐殺犠牲者皆を追悼する。今日、私たち一人一人が、この痛みを共有する。つまり、今日、ウクライナには少なくとも4000万のクリミア・タタール人がいることになる(編集注:ウクライナ国民の数)」と発言した。

大統領は、「一つの国、一つの家族として、私たちは今日、『彼ら』ではなく『私たち』と言おう」と述べ、「私たちは、どのように自分の家から追い出され、数週間で数千メートル離れた場所に運ばれたかについて忘れない。私たちは、45年経ってようやく帰還できたことを忘れない。私たちは、歴史的名前や記念碑が取り除かれて、自分の家を見つけられなかったことを忘れない」と述べた。

そして、大統領は、「最も重要なことは、70年が経過してから、ロシアの併合により自らの家をまたしても立ち去らねばならなくなったことを、私たちは許さない。そこに残った私たちの一部は、占領政権に迫害され、弾圧され、投獄されている」と指摘した。

大統領は、追放から77年、占領から7年経った今、「私たちは傷は癒えないことを確信している。時間は癒さない。言葉は役に立たない」と述べ、スローガンではなく行動することが自身が大統領に就任してからの原則だと強調した。

その上で大統領は、2014年2月のシンフェローポリでのクリミア住民による大型ウクライナ団結支持集会が開催された日を記念して、自身が「クリミア・セヴァストーポリ占領抵抗の日」を定めたこと、またクリミア脱占領・再統合戦略に署名したこと、2032年までのクリミア・タタール語発展戦略の作成を指示したこと、今年の8月23日に首脳会談が開催されるクリミア・プラットフォームを設置したことを喚起した。

加えて大統領は、クリミア脱占領戦略には先住民族であるクリミア・タタール人の権利の回復・保障が定められていると喚起しつつ、「そのため、私は今日、先住民法案を緊急審議対象として最高会議に提出する」と発表し、議員が同法案を速やかに採択することを確信していると発言した。

大統領は、「親愛なる国民よ! クリミア・タタール人は、しばしば自民族を、必ず家に戻るつばめにたとえる。当時、故郷から何千キロメートル離れた土地で、文化、言語、宗教もなく、クリミアについて思い出すことも危険で、子供が海を描くことも禁止され、国勢調査では、『クリミア』との言葉を外して『タタール人』とだけ書くことが許されていた。しかし、そのような中でも、彼らは、いつか必ず、故郷のクリミアに帰れる日が来ることを決して疑わなかった。今日、私たちは、彼らと痛みを共有するだけでなく、彼らからそのような団結と不屈の信念を学ぼうではないか。『クリミアは必ずウクライナに戻る』という信念を」と強調した。

最後に、大統領は、クリミア・タタール民族追放(虐殺)犠牲者への追悼のメッセージを述べ、「ウクライナ人は、クリミア・タタール人とともに、頭を下げ、正義と真実の勝利を望みつつ、祈りを捧げる。クリミアは自由になる!(編集注:この一文のみウクライナ語とクリミア・タタール語で発言)」と呼びかけた。

なお、5月18日、ウクライナでは、「クリミア・タタール民族虐殺犠牲者追悼の日」と「クリミア・タタール民族権利闘争の日」と定められている。この日は、1944年5月18日にソ連政権がクリミア・タタール民族全体をクリミア半島から中央アジアに追放した事件の犠牲者を追悼するために定められている。