今日は「第二次世界大戦時の対ナチズム勝利の日」
5月9日、ウクライナでは、「第二次世界大戦時の対ナチズム勝利の日」が祝われる。
この「第二次世界大戦時の対ナチズム勝利の日」は、「1939~1945年の第二次世界大戦時のナチズムに対する勝利恒久化」法により定められている。
ウクライナにとっての第二次世界大戦の始まりは、ナチス・ドイツがポーランドへ侵攻する1939年9月1日である。この日、ナチス軍は、リヴィウ等の町を空爆している。9月17日には、ソヴィエト連邦もポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の参戦国となる。ソ連は、モロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)付属の秘密議定書にもとづき、ポーランド領の一部を占領したのである。
ウクライナは、第二次世界大戦時、世界で最も多くの被害を被っている。複数の研究によれば、ウクライナの第二次世界大戦時の死者数は、800万〜1000万人、このうち民間人が約500万人、強制労働のためにナチス・ドイツに連行されたものが220万人に上り、1000万人が住む場所を失った。700以上の町と3万の村が完全に破壊された。
ウクライナ出身者たちは、主権国家こそ持たなかったが、対ナチス勝利に甚大な貢献をしている。ウクライナ出身者は、連合国側の軍・部隊にて、イギリス・カナダ軍に4万5000人、ポーランド軍に12万人、ソ連軍に600万人、アメリカ軍に8万人、フランスに6000人参加している。また、ウクライナ国内でも、ウクライナ蜂起軍(UPA)には10万人以上が参加した。
ウクライナ国家記憶研究所は、第二次世界大戦時の対ナチズム勝利の最新の研究により、第二次世界大戦に関する様々な出来事の再考が進み、ソ連が作り出した歴史上の「伝説」(偽情報、歪曲)が打ち砕かれ、過去の複雑な出来事に関する公正な検証が行えているという。
今日、5月9日は、ナチズムと戦った一人一人が記憶・追悼され、連合国に加わった全ての国家と国を持たない人々の連帯が強調される。さらに、現在の「対ナチズム勝利の日」の解釈では、戦争の歴史から、より人の歴史へアクセントが移されている。
「第二次世界大戦時の対ナチズム勝利の日」の公式シンボルは、5月8日の「追悼と和解の日」同様、過去数年、ケシ(ポピー)の花が用いられている。これは世界中で、第二次世界大戦の追悼のために受け入れられているシンボルである。このデザインは、花を表すだけでなく、血の痕跡をも表している。