ポーランドにて、80年前のソ連侵攻開始を回顧する行事が開催

80年前の1939年、ポーランドへはナチス・ドイツが9月1日に、ソ連が9月17日に侵攻を開始。ポーランドは、この二国により占領されることになった。

17日、ポーランドの首都ワルシャワにて、「ゲシュタポと内部人民委員部だけではない」と題する展示会の際、ポーランド国家記憶院のヤロスラフ・シャレク院長が発言した。ウクルインフォルムの特派員が伝えた。

シャレク院長は、「1939年9月17日は、私たちの歴史における最も悲劇的な日の一つだ。二つの全体主義の隣国、一つは第三帝国(編集注:ナチス・ドイツ)、もう一つはソヴィエト・ロシア、この二国は、独立ポーランド国家の解体という、共通の目的を有していた」と発言した。

シャレク院長は、二つの全体主義体制は、ポーランドの知識人層とアイデンティティを抹殺しようとしていたのだと指摘した。

また、アンジェイ・ドゥダ・ポーランド大統領は、1944~45年にソ連の内部人民委員部により殺害されたポーランド兵の記念碑に献花を行った。大統領は、ソ連の占領により数万のポーランド人がカティンにて死亡し、数十万がシベリアに送られたことを喚起し、またポーランドが実質的な自由を手に入れたのは、1993年になってから、最後のロシア兵がポーランドを立ち去ってからであると強調した。

ドゥダ大統領は、ポーランド人の歴史における悲劇は二度と繰り返してはならないし、それを防ぐのがポーランドのEUとNATO加盟なのだと指摘した。

1939年8月23日、モロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)付属の秘密合意により、ポーランド領はその後、二つの国家の侵攻を受けることになる。同国へは、同年9月1日に、西からナチス・ドイツが侵攻、9月17日に東からソ連が侵攻した。