チェルノブイリ原発事故から35年
本日、4月26日、ソ連時代のウクライナで起きたチェルノブイリ(現チョルノービリ)原子力発電所の事故から35年を迎えた。
ウクルインフォルムが伝える。
最高会議(国会)はウェブサイトに、ドミトロー・ラズムコウ最高会議(国会)議長による公式呼びかけ文を掲載した。ラズムコウ議長は、ウクライナ国民は、チェルノブイリ原子力発電所の事故で負った犠牲を決して忘れないとし、歴史がこのような事件を繰り返すことのないよう、あらゆることを行うべきだと強調した。
「チェルノブイリの戦士たち」追悼碑への献花式 写真:アナトリー・シリク/ウクルインフォルム
ウクライナ外務省は、ツイッター・アカウントにて、関連動画を公開し、チェルノブイリ原発事故の悲劇を喚起しつつ、当時のソ連の全体主義政権が事故について偽情報を拡散していたことが人類史最大の人為的災害を引き起こしたのだと指摘した。
在日ウクライナ大使館は、フェイスブック・アカウントにて、チェルノブイリ原発事故発生35年経過を記念した、スマートフォンにてチェルノブイリの事故を体験できるポスター展示会を紹介している。
在ウクライナ日本大使館は、フェイスブック・アカウントにて、倉井高志大使による、チェルノブイリ事故35年に合わせたメッセージを掲載している。
倉井大使は、事故の被害者への哀悼を表明し、日本が1986年から同事故の被害克服のために支援を行なってきていることを喚起した。また、大使は、「2011年、福島第1原発事故の後、ウクライナの人々は、私たちに真心からの貴重な支援を提供してくれた。それは、その後の学術面を含む協力を促進しており、そのおかげで私たちは、原子力発電所における事故へのその後の対応を推進するための協力に関する日本国政府とウクライナ政府との間の協定の枠組みでの知識・経験の公館を通じた共同研究ができている」と伝えた。
在ウクライナEU代表部は、ツイッター・アカウントにて、事故から35年経過に合わせたメッセージを発出し、「ソ連のプロパガンダが真実を隠さなければ、多くの人の命が救われた」と指摘した。
1986年4月26日午前1時23分、チェルノブイリ原子力発電所4号炉にて爆発が発生、これにより原子炉の一部が崩壊した。また、爆発によって生じた火災は、3号炉に延焼。現場には、速やかに消防隊員が到着し、周辺の火災は、朝5時までに鎮火されたが、原子炉内部の火災は5月10日まで続いた。
爆発と火災により、放射線を含む煙が立ち上り、それは現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアのみならず、スウェーデン、オーストリア、ノルウェー、ドイツ、フィンランド、ギリシャ、ルーマニア、スロベニア、リトアニア、ラトビアといった欧州の国々にまで到達した。同事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)の最も深刻な事故レベル7に指定されている。
事件当初から、ソ連政権とウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国首脳陣は、事故の事実と環境災害の被害を隠蔽していた。放射線量の増加を最初に報告したのはスウェーデンであり、一方でソ連にて最初の発表が行われたのは4月28日になってからであった。
当初の住民避難は原発から10キロ圏内のみであったが、その後範囲は30キロ圏に拡大された。ウクライナでは、2293の自治体にて放射線による汚染を受けている。80年代末これらの自治体に暮らしていた住民は、260万人を超えていた。
1986年末、放射線拡大を防ぐために、壊れた4号炉を覆う石棺が設置された。チェルノブイリ原子力発電所は、2000年12月15日に安全の観点から活動が停止されている。
その後、4号炉の老朽化が進む中、ウクライナは、国際社会に対して呼びかけを行った。2012年に石棺を覆う「新安全閉じ込め設備(NSC)」と呼ばれる可動式シェルターの建設が開始され、2016年に完成している。