戦場記者マホウ氏がハルキウ州で死亡
国営企業「ウクライナ・マルチメディア放送プラットフォーム」が発表した。
発表には、「5月4日、同僚、記者、ウクライナの防衛者であるオレクサンドル・マホウ氏が亡くなったことがわかった。彼は、ルハンシク州出身で、2022年には、国営企業ウクライナ・マルチメディア放送プラットフォームの編集部から、ウクライナ防衛のために戦地へ出発していた」と書かれている。
同社は、マホウ氏は才能あるジャーナリストだが、現在の戦時下では、衝突ラインでロシア侵略軍から祖国を防衛することを選択していたと伝えた。
編集部のメッセージには、「オレクサンドルは、私たちの編集部と常に連絡を続けていた。私たちは、定期的に編集立案の際に一緒で、ウクライナ軍の達成や英雄的振る舞いについて話してきたのであり、オレクサンドルのことはいつも心の内側に描いていた。彼は私たちの英雄だ。彼は『戦場記者マホウ』といつも自称してきた。私たちは、2022年2月24日まで、全編集部で、軍事ジャーナリズムからドキュメンタリー報道に移行するようアドバイスしていた。しかし、オレクサンドルの性格の本質は、戦争の初日に現れた。彼は、いつもと同じく、はっきりと準備万端でアメリカ風に落ち着いて、編集部に対して、前線へ行く、と伝えたのだ。私たちのような編集部の存在の権利、私たちが生きている際に抱えている原則、私たちから奪われそうになっている、表現の自由、独立した民主的なウクライナ、という原則を巡る、凄惨な戦いの前線へと彼は向かったのだ。オレクサンドルは、後衛を守るために前へ進んでいることをわかっていた。彼を失ったことは、私たち編集部にとって取り返しようのないことである。彼は、ウクライナにとって取り返しがつかない人である。大きな悲劇であり、家族と近親者にとって大きな喪失である」と書かれている。
ゼレンシキー大統領は、4日夜の動画メッセージにて、マホウ氏の死について報告した。
ゼレンシキー氏は、「有名な記者、オレクサンドル・マホウ氏のことだ。あなたはきっと彼のルポルタージュを『ウクライナ』や『家』で見たことがある。もしかしたら、彼のコメントや彼の投稿を見たことがあるかもしれない。彼はいつも、自分の立場を持った人物だった。愛国的かつ誠実な立場だった。うぬぼれることのない人だった。いつも最も勇敢で、最良の人たちの中にいた。いつも最も激しい場所で働いていた。本当のことを伝えようとしていた。とても大切なことを。2017年、彼はウクライナの記者としては初めて南極の私たちの基地(ヴェルナツィキー基地)を訪れた。コロナ禍が始まった時も彼は恐れなかった。中国からウクライナ人が戻ってきた時、2週間サンジャリで過ごした。(編集部:2022年2月24日の)全面的戦争初日には、彼は前線にいた。志願兵だ。反テロ作戦退役兵でもある。第95空挺襲撃旅団の兵である。ルハンシク州出身だ。彼は、この戦争が何を意味するのか、自分なりに感じていたのだろう。今日、彼はハルキウ州のイジューム近郊の戦いで亡くなった。36歳だった。近親者、友人に心からの哀悼を。ロシアがその死の責任を負うことを、彼の息子ウラディスラウが知ると良い。私たちはウクライナのために必ず勝利する。それがオレクサンドルの夢だったことは間違いない。私たちはその夢を実現する」と伝えた。