ハルキウ市にて、戦死した射撃手ヤナ・チェルヴォーナ氏の告別式開催
4日、ウクルインフォルムの記者が伝えた。
告別式には、近親者、部隊同僚や地方自治体代表者が参加していた。チェルヴォーナ氏は、2016年に国や家族、自身の二人の子どもたちをロシアの侵略から守るためにと自発的に従軍を始めたと説明された。
棺はウクライナ国旗で覆われ、母親、配偶者のセルヒーさん、子どもたちがそれを囲んだ。黙祷と祈りの後には、楽隊により国家が演奏された。参加者は、涙を見せながら彼女の思い出をそれぞれ語った。
ドンバス大隊の指揮官、ヴヤチェスラウ・ウラセンコ大佐は、ウクルインフォルムの記者に対して、チェルヴォーナ氏は真の戦士であり、プロフェッショナルに銃を扱っていたと述べるとともに、「同時に、彼女は、良い仲間でした。困難な時にも仲間を励まし、勝利を確信させることのできる人でした。彼女は、自分の子どもを愛し、いつも子どもに電話をしていました。何度も休暇を取って家に帰っていましたが、必ず前線に戻ってきました。そこに自身の義務を見出していたのだと思います」と述べた。
同大佐は、チェルヴォーナ氏は、2013年からボランティアとして兵士たちを支援し、愛国的な集会や、ユーロマイダン集会に参加し、「右派セクター」とも協力していたことがあり、どういうものがウクライナの敵なのかにつき、明確な立場を有していたと説明した。ウラセンコ大佐は、「彼女は、軍を選択し、兵士として第54旅団に入りました。戦争が怖くない人などいませんが、大切なのは恐怖を克服することができることです。彼女は、それができる人であり、戦士の鑑でした」と述べた。
チェルヴォーナ氏は、「魔女」というコードネームを持っていたという。戦死したのは、4月2日。ロシア占領軍の砲撃は、同日の午後1時に始まり、3時間続き、その際に亡くなったと言う。ウラセンコ大佐は、「最初は砲撃は私たちの防衛地点の周りに着弾していましたが、敵の無人機が1000メートル上空から砲撃の照準を定めていました。それにより、徐々に着弾が近くなり、4発の砲弾が塹壕に命中。そこに、チェルヴォーナ上級兵とオレクサンドル・ミリュチン上級兵がいました。塹壕は崩壊。敵の攻撃を撃退した後、兵士達は手で仲間を掘り出しましたが、二人とも既に亡くなっていました」と説明した。