ゼレンシキー宇大統領、「尊厳と自由の日」に演説 【日本語全訳】

ゼレンシキー宇大統領、「尊厳と自由の日」に演説 【日本語全訳】

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ウクルインフォルム
ウクライナのゼレンシキー大統領は、11月21日の「尊厳と自由の日」に合わせて、国民向けの演説を行った。

大統領府広報室が演説全文を公開した。ウクルインフォルムが日本語に全訳する。


親愛なるウクライナの人々よ!

欧州の民よ!

私たちは今日、尊厳と自由の日を祝う。2004年の革命と10年前の尊厳革命という2つの革命の始まりを記念して定められた国のお祝いである。

10年前、私たちは戦いの新たなページを始めた。10年前、ウクライナ人は最初の反転攻勢を行った。不処罰に対して、欧州的未来を私たちから奪おうとする試みに対して、私たちの不自由に対して。

10年前、人々は、何かに反対してのみ集まったのではなく、何よりも自分のために団結したのだった。一人一人が一人一人のために。暴力的無法が生じた後、「私も殴られている。私も痛い。それは、正義と真実、自由への攻撃であり、私たちの共通の未来に対する攻撃なのだ」ということを感じた者が皆集まったのだ。もし、私たちが黙ってしまい、我慢してしまい、恐れてしまい、戦わなければ、どうなるのだ、と感じた者が。

そして、その時、現在の戦争における実質的に最初の勝利が生じたのだ。無関心でない者たちの勝利。勇敢さの勝利。尊厳の革命の勝利。民の抵抗の勝利、市民社会の勝利、英雄「天国の戦士」と首都やその他の地域で自由のために闘った人々全員の偉業の勝利。

私たちの民の後ろには、私たちがすでに乗り越えてきた大きな道のりがある。今日私の後ろには、ウクライナの国旗と欧州連合(EU)の旗がある。そして、今日、私たちは、このように言うことができる。「それは、広場の単なる飾りではない。デコレーションでもフィクションでもない。それは、ウクライナが欧州と不可分であることの真のシンボルであり、その権利をウクライナの人々と国家はずっと証明してきたのだ」と。

一年一年、一歩一歩、私たちは、EU旗の欧州の人々の一致団結を象徴する星の輪に、私たちの星も輝くことになるよう、あらゆることを行っている。ウクライナの星が輝くように。

20年前はロマンチックな夢だった。10年前は野心的な目標だった。今、それは、もう私たちの前進とあらゆる義務的段階の克服を止めることが不可能な現実である。よって、私たちの候補国地位と今後の加盟交渉は、必ずウクライナのEUへの完全加盟の形で終結する。そしてそれら全てを、私たちは戦争の中で行っているのだ。私たちの人々がこの瞬間、自分と欧州を守る中でのことだ。なぜなら、尊厳を持っているからであり、私たちから自由を剥奪することを認めないからだ。なぜなら、尊厳を失わないためには、自由を守らなければならないからだ。なぜなら、はるか昔に私たちが学んだ重要な知恵の1つである「恐れないことが如何に大切か、戦うことが如何に大切か」ということを知っており、覚えているからだ。

そして、私たちから何かを奪おうとする度に、より多くの人が抵抗に向かっている。マイダンのバリケードは、ドンバスの塹壕となり、それはその後北部、南部、東部の全ての前線の抵抗となった。民主的価値の防衛は、主権と領土一体性の防衛と変化した。国内の独裁者への抵抗は、外部からの占領者とテロリストへの抵抗となっている。2月24日、国全体が立ち上がり、新たなバリケードに全ての民が立ちはだかり、それが何のためなのかを理解し、あらゆることを記憶しながら、戦っている。乗り越えた「燃え上がる冬」はもはや1つではなく、10年前も去年も、昨日も今日も、戦ってきたのであり、戦っている。当時は首都の中心で、今はバフムートの塹壕で。当時はフルシェウシキー通りや、ハルキウ近郊や、ヘルソン近郊で、今はアウジーウカ近郊で。当時自由のために木製の盾を持って勇敢に戦いに向かった人々、東部の最初の戦闘で国を守った人々、2月24日からあらゆる方面で私たちを守っている人々皆だ。当時はゴム弾にも閃光弾にも恐れず、今はいわゆる「世界第二の軍」の武器兵器に恐れない人々皆だ。自由のためにウクライナ国旗を身にまとい立ち向かっていくことを恐れない人々だ。当時はキーウの独立広場で、去年はヘルソンの自由広場で。当時はインスティトゥーツィカ通りで無私の心で負傷者を救い出した救い出した人々で、今前線でそれを行っている人々皆だ。全ての人のために戦わねばならないことを知っており、証明している人々皆だ。あらゆる対立のエピゾードにおいて。1つ1つの建物であれ、一地域全体であれ。1本の通りであれ、国の左岸全体であれ。バリケード1つであれ、ウクライナの全ての国境沿いであれ、戦わねばならないことを知っている人々だ。

そして今日、私たちの歴史の新しい流れが生み出されている。今日、歴史がどのような方向に向かうかは、私たちの世代にかかっている。歴史の教科書に私たちについて何と書かれるかがかかっている。子孫が私たちについて何と述べるかがだ。「彼らは戦ったが、勝てなかった」なのか、それとも「彼らは戦い、勝利した」なのか?

どの国とも同じように、私たちの歴史にも負のページと正のページがある。繁栄の時代と分断の時代がある。栄光の時代と、10年以上続きかねない破滅の時代がある。私の後ろにある場所(編集注:欧州広場)の歴史のように、あちこちへと揺れ動きかねない時代がある。19世紀半ば、「欧州広場」は「ツァーリ広場」となり、その後「第3インターナショナル広場」となった。占領期には、それをヒトラーを記念した名前にすることが計画されていた。ナチスを追い出した後であっても、その広場は「欧州広場」にはならず、「スターリン広場」に改名されてしまい、その後は「レーニン・コムソモール広場」となった。これら全てが、単なる通り名の札の話ではなく、歴史の転機で誤った転換がもたらし得る結果である。

国家的活動家の代わりに、政治屋が到来してしまったら。人々のためではなく、官職のために争い、自らのエゴが国のことより大切になってしまい、最後まで立ち上がらず、「リーダー」「首脳」「ヘトマン」という地位に「亡命中の」という形容が付け加えられてしまったら。私たちがいさかい、その後疲れ果て、絶望してしまったら。そうしたら、その後は、新たな不自由と国家不在の時代を生き抜かねばならない羽目になる。敵が国際社会の支持と連帯を破綻させることに成功してしまったら。文明世界がテロリストとの妥協を模索し、暴君に譲歩してしまったら。その時は、私たち皆が負けるのだ。ウクライナも、欧州も、世界も、負ける。「やつらとは引き分けがあり得るかもしれない」などとナイーブに思いながら、負けることになる。引き分けは、あり得ない。

私たちは強い。強くあらねばならない。なぜなら、強い者だけが信じてもらえるからであり、強い者だけが未来を作り出すからだ。強い者だけが一致団結できるからだ。自由になるための一致団結。尊厳を抱くための自由。私たちの町々の中央広場が新しく、永遠に変わらない名前を得る新たな時代のために。マリウポリ、ベルジャンシク、メリトポリの解放者、英雄を記念する名前であり、ドンバスやクリミアの解放記念の名前を得るのだ。ウクライナが自らの国境内で統一される記念の名をだ。それは、何年か何世紀か後の歴史の本に、1991年からの独立の時代が途切れることのなく続く時代として記述されていくようになる時の話だ。

何年か何世紀か後、学校では、ウクライナが欧州の不可分の一部として語られるようになり、未来の全ての世代が「まさか、それ以外のことがあり得たの?」と尋ねるようになる時のことだ。私たちのカレンダーにて、独立記念日や国家性の日や統一の日や尊厳と自由の日と並び、「勝利の日」が現れる時のことだ。ウクライナの勝利の日が。尊厳と自由の人々の勝利の日が、大文字で書かれて現れる時だ。

大文字の偉大なる民よ、強き民よ、強き国よ! 尊厳と自由の日おめでとう! ウクライナに栄光あれ!

写真:大統領府


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