詩人レーシャ・ウクラインカ生誕150周年 大使館、日本語とウクライナ語での詩の朗読動画公開
セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使は、フェイスブック・アカウントにて、生誕150周年を記念誌、レーシャ・ウクラインカの詩をウクライナの外交官が日本語で、日本のウクライナ研究者等がウクライナ語で読み上げる動画を公開した。
なお、レーシャ・ウクラインカ(1871〜1913)は、ウクライナ文学史に最も貢献した人物の一人。詩の他に、戯曲や国外の作品の翻訳など様々な執筆活動を行なった。
レーシャ・ウクラインカ(本名:ラリサ・コサチュ)は、1871年2月25日、ノヴォフラド・ヴォリンシキーにて生まれた。コサチュ家には作家、芸術家、音楽家などが集まり、芸術の晩餐や、ホームコンサートなどが開かれていた。
ウクラインカの初の作品は、彼女が9歳の時に書いた『希望(ナジーヤ)』。これは、叔母が逮捕され、シベリア送りにされたことの印象を元に書いた作品であった。13歳の時にはすでに「レーシャ・ウクラインカ」の作家名にて、リヴィウにて雑誌『ゾーリャ(星)』にて二編の詩『スズラン(コンヴァリヤ)』『サフォ』を発表している。
ウクラインカは、幼少期に結核にかかり、生涯闘病生活を送っている。このためウクラインカは学校に通うことができなかったが、母やミハイロ・ドラホマノウ(政治理論家・歴史家・哲学者)の支えを受けながら、勉学を続け、11の言語や、国内外の文学、歴史、哲学を学んだ。
彼女は、その作品の世界観から、ロシア帝国の警察による監視を受け続け、作品は検閲を受け、何度も出版が禁じられた。そのため、彼女の作品の大半は、ロシア帝国外のベルリン、ドレスデン、プラハ、ウィーンにて発表されている。
レーシャ・ウクラインカは、晩年を夫のクリメント・クヴィトカとともに、ジョージアとエジプトで伝承を集めながら過ごしている。
代表作は、ウクライナの多神教の神話をモチーフにした人間の男性と異界の女性の愛を描いた戯曲『森の詩(リソヴァ・ピースニャ)』(1911)。