露の「1939年のウクライナ人とベラルーシ人解放」主張につき前ポーランド大使が説明
ヤン・ペクロ前駐ウクライナ・ポーランド大使(2016〜19)が、ロシア連邦が最近1939年のソ連によるポーランド侵攻を「ウクライナ人とベラルーシ人の解放」と主張していることにつき、ウクルインフォルムの特派員にコメントした。
ペクロ氏は、「最近のロシアによる、ウクライナ人とベラルーシ人のポーランド支配からの解放という声明は、第二次世界大戦開戦、そしてソヴィエト・ロシアによるポーランド東部への侵攻後にモスクワから発表されていた主張の再現である」と指摘した。
同氏は、その歴史解釈は、プーチン露大統領によるすでに一定期間主張され続けているものであり、帝政ロシア・ソ連時代の伝統を再編する試みであると指摘した。
加えて同氏は、昨年ベラルーシのルカシェンコ自称大統領がソ連のポーランド侵攻の日である9月17日を「国家統一の日」と制定したこともまた、クレムリンの指示であったことは間違いないと指摘した。
同氏は、「ロシアのそのナラティブに驚きはないが、その規模は危険なものとなっている」とコメントした。
また同氏は、現在の「ウクライナ人とベラルーシ人の解放」ナラティブはロシア国内に向けたものであるとの見方を示しつつ、同時に「しかし、プロパガンダの観点からは、それは現在の現実にはあまり合致していない。なぜなら、ウクライナ人はクリミア併合とドンバス侵略時にロシアに感謝を示さず、完全な『解放』を許さなかったからだ」と指摘した。
さらに同氏は、ロシア外務省がそのようなプロパガンダ・ナラティブをソーシャルメディア上に拡散した際にも、ロシアは目的が達成できなかったと指摘した。同氏は、その理由として、コメント欄に批判ばかりが多く現れたことを指摘し、リンケヴィチュス前リトアニア外相のような有名な人物をはじめ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、ウクライナからの批判を招いたと指摘した。また同氏は、「それは非難されなければならず、嘘は暴かなければならない。なぜなら、1939年9月17日の出来事は、ソヴィエト・ロシアによる独立ポーランドへの敵対行為であり、スターリンとヒトラーの明白な同盟行為であったからだ」と説明した。
その上で同氏は、ロシアは、エリツィン大統領時代に、カチンの森事件の罪を認め、また1939年のポーランドに対する侵略の事実も認めそうになっていたと指摘し、しかしながら、現在のロシアでは逆行が観察されており、スターリン時代のプロパガンダを再現する方向へと進んでいると指摘した。
これに先立ち、ロシア外務省はツイッター・アカウントにて、1939年9月17日にソヴィエト赤軍がポーランド領の解放進軍を開始し、ドイツ国防軍のミンスクへの侵攻を阻止した、西ウクライナと西ベラルーシの人々は「喜んでソ連の兵士を歓迎した」と書き込んでいた。ロシア外務省はまた、当時ポーランド政権はソ連との間でドイツ侵略撃退の相互支援協定に署名をしなかったのであり、同国の消滅はポーランド自体に責任があったと主張するプロパガンダ動画を掲載していた。
これに対して、ポーランド外務省は、「解放進軍」など一切なく、あったのはナチスドイツと共闘したソ連による侵略であったと反論している。さらに、1939年9月17日、ポーランドは消滅したのではないとし、奪取された領土の住民は「すぐにソ連の犯罪の犠牲者となった」と指摘していた。
また、ツイッターのウクライナ公式アカウントは、このロシア外務省のツイートを赤字で訂正するツイートを掲載した。ウクライナは、ソ連の進軍はポーランド領の「解放」ではなく占領であり、ドイツ国防軍を阻止したのではなく、ソ連がヒトラーとの合意に従いポーランドを分割したのだと説明している。
— Ukraine / Україна (@Ukraine) September 18, 2021
なお、1939年9月17日、ソ連は、「ポーランド東部のウクライナ人とベラルーシ人の命と資産を守る」ことを名目にポーランドに進軍を開始している。実際には、このソ連のポーランド侵攻は、独ソ不可侵条約におけるポーランドを分割の秘密協定に従ったものであった。