歴史家ホメンコ氏、極東のウクライナ人ディアスポラに関する書籍を出版
21日、哲学・歴史学博士、キーウ(キエフ)モヒラ・ビジネススクール准教授のオリガ・ホメンコ氏がウクルインフォルムにて出版発表会を開いた。
ホメンコ氏は、「これは、アジアにいた、忘れられた大きなウクライナ人ディアスポラの歴史である。ウクライナ人と日本人、ウクライナ人と中国人の間の相互の繋がり、パブリック・ディプロマシー、文化ディプロマシーに関する忘れられた歴史だ。イヴァン・スヴィートという人物は、アジアにおけるウクライナ人ディアスポラの存在に注目し、極東に慣れ親しんだウクライナ人たちの独特な役割を初めて強調した人物である。彼は、20世紀初頭に存在した国際政治におけるウクライナ・ベクトルについても説明している」と説明した。
日本専門家であるホメンコ氏は、2018年にハーバード大学のウクライナ学術研究所とウクライナ自由科学アカデミーにて活動し、そこでイヴァン・スヴィートが当時に米国に持ち運んだ資料や、上海の「ウクライナ代表委員会」に属していた人々の活動について研究したという。
同氏はまた、「ウクライナでは、通常『ウクライナ人ディアスポラ』という場合、それは欧州やアメリカ、カナダのウクライナ人ディアスポラのことを指す。あるいはオーストラリアの人々のことを指すこともあるが、しかし、アジアにいたディアスポラについては、通常全く何も知られていない。それは、19世紀末に現れたディアスポラであり、第二次世界大戦後に実質的に消滅した人々のことである。東方に、巨大なウクライナ人ディアスポラが存在したのだ。それは、極東、満州、中国に暮らしていた人々である」と発言した。
ホメンコ氏は、当時の極東のウクライナ人たちは、主に沿岸地域や、ハバロフスク地方、アムール州に暮らし、彼らが住んでいた地は「緑ウクライナ」(Зелений клин)と呼ばれていたと指摘した。1917年のロシア革命期、アジアでは、複数のデータから、およそ50万〜100万人のウクライナ人が暮らしていたという。
ホメンコ氏が出版したウクライナ語の書籍『イヴァン・スヴィートの極東のオデュッセイア』(«Далекосхідна одіссея Івана Світа»)は、米国と日本の資料をもとに書かれたもの。本には、ロシアと日本の間に位置する「緑ウクライナ」の存在や、満州へ移住したウクライナ人たちが、1917年の革命という困難な時期、またその後の戦間期、戦時中にどのように自らの権利を防衛していたのか、西と東の対話の構築を通じて、どのように自らの国を打ち立てようとしていたのかが記されているという。