ロシア軍人の配偶者・母親からなる軍人捜索団体がキーウで記者会見
団体の活動発表がウクルインフォルムで行われた。
活動発表の際、ロシア国民の女性たちは、ロシアのウクライナへの侵攻を支持しておらず、全面戦争開始のほぼ直後にロシアを出国したと発言した。
ロシア人捕虜の配偶者であり、ウクライナ政権のロシア軍人投降支援プロジェクト「行きたい」でコンサルタントを務め、「私たちの出口」運動の共同創設者である、イリーナ・クリニナ氏は、自身の夫であるイェウゲーニー・コフトコフ氏は動員兵だったと発言した。
クリニナ氏は、夫のコフトコフ氏が2023年7月7日に拘束されたことを、ウクライナ側の情報で知ったと述べた。その際同氏は、「約1か月、彼は音信普通になっていた。そして、私は、彼が拘束されたことを知った。ロシアでは、親族自身がそのような情報を探さなければいけないことになっている。私たちは、(ロシアの)あらゆる機関に問い合わせたが、しかし、受け取ったのは、動画はある人物が捕虜となったことを認める上での根拠にはならない、という回答だった。そこで私は、自分で行動しなければならないと悟った」と発言した。
同氏はまた、ロシア軍の旅団の幹部は拘束された者の情報を提供せず、その理由として「統計を見出さないためだ」と説明すると伝えた。
夫のコフトコフ氏が捕虜になったことが判明した後も、クリニナ氏は、捕虜交換が行われなくなっているという問題に突き当たったという。同氏は、夫を探しにウクライナへ向かったところ、予想外に、ウクライナ側の国家機関がオープンで、コフトコフ氏との面会の許可が迅速に与えられたと述べた。
クリニナ氏は、その出来事を受けて、自身はウクライナ側の投降支援プロジェクト「行きたい」のコンサルタントになることを決めたという。
その際同氏は、「私たちは、団結することを決めた。なぜなら、ロシアの女性はロシア政権から支援を受けておらず、彼らは、どこに支援を求めて連絡すれば良いのか知らないからだ。ウクライナの国家機関に連絡することを彼らは恐れている。なぜなら、ロシア政権が彼らを恐れさせたからだ。だからこそ、私たちは、ロシア人女性が私たちに、同じ問題を抱える女性に連絡できるようにするために、この団体を創設することを決めたのだ」と説明した。
同氏はまた、過去2か月弱で、ロシア軍人捜索の支援要請を106件受け取り、その内17名を見つけることができたと伝えた。
さらにクリニナ氏は、ロシア人捕虜の家族との電話をこれまで6件組織したとし、2024年1月にはさらに9件の電話がかけられると述べた。
さらに同氏は、1名のロシア軍人の遺体の捜索と、ウクライナ・ロシア間の遺体交換の一環で、その遺体のロシアへの返還も支援も行ったと述べた。
ロシアの活動家のオリガ・ロコヴァ氏は、モスクワで戦争反対集会に参加してきたとし、全面侵攻開始後に、ウクライナにいる自身の母親と一緒に暮らすためにロシアを出国したと述べた。
ラコヴァ氏は、「インターネットでイリーナ(クリニナ)氏の話を見かけて、私はこの協力な女性と知り合いになりたいと強く思った。私は、彼女の活動に感動したのだ。知り合ってから、私は、彼女と一緒にプロジェクトの活動を続けることを決めた。全ての女性が団結すれば、私たちは多くのことを達成できる」と述べた。
また同氏は、プロジェクトの目的は、ロシア社会が、捕虜交換を再開する要請や、ロシア軍人をウクライナから撤退させる要請をロシア政権に出させることだと述べた。
ボランティアで、記者で、「私たちの出口」の共同創設者であるヴィクトリヤ・イフリェヴァ氏は、ロシア国防省はウクライナでロシア軍人が行方不明になった時に、捜索願いに対しておおむね形式的な対応しかしないと発言した。
イフリェヴァ氏は、ウクライナから情報を得られることは、戦場に出て行方不明になった者を探す多くのロシア人にとって、ほぼ唯一の手段だろうと述べた。
また同氏は、ロシア人捕虜は、ウクライナにおいて、ロシアで拘束されているウクライナ人捕虜よりもはるかに良い待遇を受けていると強調した。
さらに同氏は、ロシアの女性たちに、ロシア連邦に対して捕虜交換を行うよう要求する同団体のマニフェストを読み上げた。