ロシアは当初2月22日に侵攻を開始する計画だった=ウクライナ安保会議書記
ウクライナのダニーロウ国家安全保障国防会議(NSDC)書記は、ロシア連邦のウクライナへの全面的侵攻は、当初2月22日に予定されていたと発言した。
ダニーロウNSDC書記がBBCへのインタビュー時に発言した。
ダニーロウ氏は、「私たちは、私たちの国に何が起こるか認識していた。さらに、侵攻の日は2月24日ではなく、22日(に開始される計画)だったのだ。彼ら(ロシア)は2月22日に、今ある形態で私たちの国を侵攻するはずだった。一つだけ、私たちが予想していなかったことがある。それは、ベラルーシ領が利用されるということだ。そのことについて議論はあった。しかし、結論では、私たちは、別の形になるだろうと思っていた。しかし、実際はそのようになったのだ」と発言した。
同氏はまた、ウクライナが侵攻に向けて備えていなかったとの見方を否定した。「しかし、私たちも社会も、皆が準備をしていたというのは、すでに50日間、私たちが防衛を維持していること(が証拠)だろう。世界のどんなインテリジェンスも、私たちの国が21日間以上耐えるとは予想していなかった。フランスの情報機関のトップは、何が起こるか予想できなかったことから、3月31日に辞任している」と指摘した。
その他同氏は、10、11月から、米国、英国、その他の国々の多くの代表団と対話を重ねてきたとし、「私たちは彼らに、彼らが考慮できていないことについて説明してきたのだ」と述べた。「彼らは、戦車、火砲、その他の物については考慮していた。しかし、私は、『私たちには、ほとんどの人が知らない武器がある』と述べてきた。それは、私たちの民の自由への意志だ。私たちは、最後まで戦う。ここからどこへも逃げない。なぜなら、ここは私たちの大地なのだから」と強調した。
また同氏は、ウクライナ政権がロシアの侵攻に向けて準備をしていなかったと批判するのは誤りだと述べ、「私たちは、表に出て、『友よ、2月22日に戦争が始まるぞ』と言うことはできなかった。それは国家運営の観点から看過し得ないことだ。しかし、私たちは準備はしていたのだ」と発言した。具体的に同氏は、ウクライナでは1月1日に、国民抵抗法が発効し、それにより新たに「領土防衛部隊」が創設されたことを喚起した。同氏は、「私たちは、何を行っていくか理解していた。(中略)私たちは全て計画に沿って行動していた。2月24日5時。実際には、侵攻は3時40分に始まっている。その時、ロシアの戦車の最初の車列がルハンシク州へ侵入した。そして、同日5時から5時半頃には、NSDCメンバーが集まっていた。その時には、私たちには、採択しなければならない前もって準備された法文書がすでにあった。私たちが準備していなかったと言う者は、どのように全てのことが起こっているかを理解していないだけである」と強調した。
その他同氏は、ロシアの計画につき「私たちには、22日にそれ(全面的侵攻)が起こる、という明確なイメージがあった。私たちの情報機関は戦闘の中で、2月22日に出されたが、24日にに修正された命令を入手している。計画はかなりシンプルで、傍若無人なものだ。とにかく、私たちの国の大統領を抹殺する、というものである。彼らの中では、その課題が最上位とされていたし、その試みは複数回あった。さらに、今は言うことができるが、2月22日、およそ19時20分、私たちは、近々それが行われる可能性があるとの情報を受け取った」と発言した。
同氏はその際、その「試み」についてゼレンシキー大統領、大統領護衛、国家警備局、首相、保安庁、内務相、その他関連機関に伝えたと述べた。また、「それは2月22日だった。その後、4回試みがあった。最後は、3月7日、私たちがパートナーから情報を受け取った時だ。情報機関からのある作戦が計画されているという情報だった」と発言した。
なお、ウクライナでは、2月24日からロシアによる全面的侵略が続いている。4月14日で、侵略開始から50日目を迎えた。