パウリューク宇陸軍司令官、全面侵略初期にロシア軍のキーウ州侵攻を止めた要因を説明
ウクライナのパウリューク陸軍司令官は3月31日、2年前のロシア軍全面侵略開始初期に首都周辺のキーウ州でウクライナ側が敵侵攻を止めることができたのはモシチュン村の攻防のおかげだと説明した。
パウリューク陸軍司令官がテレビ番組「統一ニュース」出演時に発言した。
パウリューク氏は、「モシチュンだ。(3月)19、20日がその自治体を巡る決定的な戦いだった。それはロシア人が奪い、キーウにとって巨大な脅威となっていた橋頭堡である。彼らが攻勢を展開できていたら、私たちは直接キーウ市内で戦うことになっていただろう」と発言した。
そして同氏は、ウクライナ軍人がダムを破壊し、ロシア軍が主要戦力を投入するために築いていた橋を全て押し流すことで、橋頭堡を得ていた部隊を殲滅することができたと述べ、「それが攻勢を止めたのだ」と発言した。
続けて、同氏は、「19日に、(敵の)集団を切り離し、敵後部に回り込むべく私たちが攻勢を始めたら、相手側にはパニックが生じた。彼らは包囲を非常に恐れ、ウクライナ領からの部隊の撤退が始まった。彼らは、非常に迅速に撤退しようとし、機材も自軍兵の遺体も捨てていった。ロシア人は、その方面では非常に強力に準備をしていたが、私たちの方が優れていることが判明したのだ」と指摘した。
同氏はまた、ウクライナ軍人はモシチュン戦の後すぐにロシア軍を追いやり始めたと述べた。同氏は、「私たちは、兵站ルートとウクライナ領からの撤退ルートを切断すべく、すぐに敵後方と側面への攻勢を始めようとした。それは彼らにとっては非常に予想外で、ある種のパニックをもたらし、私たちの領土から彼らを撤退させることになったのだ」と説明した。
そして同氏は、ロシア軍はウクライナ全土に戦力を分散させたために失敗したのだと指摘した。同氏は、「主な部隊は東部にいて、それが私たちの主な戦力、統一部隊を壊滅させるはずだった。しかし、そこでも、私たちの人々の勇敢さと同方面の防衛への準備のおかげで、私たちは耐え抜いただけでなく、最初の1週間で彼らが侵攻した部隊に甚大な損耗を被ることになるほどの攻撃を加えることができたのだ」と発言した。
加えて同氏は、マリウポリを含め、制圧した領土を維持するために、ウクライナ北部のスーミ州やチェルニヒウ州をはじめ、複数の方面から追加戦力を移動させなくてはならなくなったと指摘した。
そして同氏は、「ハルキウ方面からは、彼らはクラマトルシク、スロヴヤンシクへと進軍するためにイジュームへと(戦力を)移動させた。ミコライウ・ヘルソン方面からは、私たちがマリウポリの包囲解除を妨害するために、そこにいた部隊を移動させた」と説明した。
同氏は、ロシア軍にはキーウ州の戦力を増強するためのリソースはその時残っていなかったと指摘した。
その上で同氏は、ロシア側の誤算は何か、との問いに対して、敵(ウクライナ側)を過小評価したことだと指摘した。同氏は、「彼らは私たちの軍と住民の抵抗、住民全体が彼らに反対して立ち上がることを過小評価していたのだ。1メートルずつで戦いが生じることを過小評価したと言っても良い。彼らは、儀礼的な更新で通り抜けることを予定していたのだ」と説明した。
そして同氏は、キーウ州の当時の状況に影響を与えたのは、最終的にはウクライナ軍と当時のキーウ防衛を任されていたトップの人たちの専門性だと強調し、「なぜなら、本当に、一つ一つの行動を分析すると、全てが専門的かつ正しく行われていたからだ」と補足した。