2014年の「イロヴァイシクの悲劇」につき、ホムチャーク参謀総長「撤退の決定が遅かった理由を知らない」

2014年夏、ウクライナ東部のイロヴァイシク地区にて、反テロ作戦の指揮官を務めていたルスラン・ホムチャーク現参謀総長は、当時、イロヴァイシクにてウクライナ側が包囲されていた際に、撤退の決定が即座に出されなかった理由を知らないと発言した。

ホムチャーク参謀総長がラジオ・スヴォボーダ通信へのインタビュー時に、2014年8月25日のイロヴァイシクでのウクライナ部隊が包囲されていた際の状況ついて発言した。

ホムチャーク参謀総長は、「なぜ上層部の(編集注:包囲網からの撤退の)決定採択にあのように時間がかかったのか、私は知らない。その時の私のところの状況は、食料なし、水なし、基本的なものがなく、負傷者を戦場から脱出させる手段もない、というものであった。応急処置は与えていたが、彼らに必要だったのはより専門的な治療であり、私たちが彼らを治療できないがために彼らは亡くなり、軍人たちの間でパニックが広まり、ここに墓石が立つか、リスクを負ってでも何らかの決定をするかしかないことを理解したとき、私は、撤退の決定を下したのだ」と発言した。

参謀総長は、当時の包囲網からの撤退の状況についてコメントはせず、捜査の最終的結果を待っているとだけ述べた。同参謀総長は、撤退命令が遅れた理由を調べようとはしていないと述べた。

参謀総長は、「私は、一切の決定について尋ねることはしない。刑事捜査が行われており、捜査機関に判明させれば良い。私は捜査官ではないし、私もまた刑事捜査の対象である。なぜなら、私は生還したからだ。現在、質問を受けないのは、生還していない者のみである。生還した者は、誰しも疑問を持たれ、質問され、事情聴取を受けている。無論、あの時ロシアが侵攻してこなければ…。なぜ、当時ロシア(正規)軍が(ウクライナ領に)侵入してきたのか?なぜなら、『義勇兵』やら何やらを装って、我々と戦闘をしていたロシアの特殊部隊の戦況が芳しくなかったからである」と説明した。

なお、ホムチャーク参謀総長は、5月21日にゼレンシキー氏により現職に任命されている。前任は、ヴィクトル・ムジェンコ氏。

ホムチャーク氏は、2014年夏、イロヴァイシク地区にて反テロ作戦指揮官を務めていた。

2014年8月末、ウクライナ部隊は、イロヴァイシク近郊にて、同時期にウクライナ領へ侵攻してきたロシア正規軍部隊に包囲されていた。ロシア正規軍部隊と包囲されているウクライナ部隊は、後者の撤退のための「回廊」の設置に合意するも、ロシア部隊は、撤退をしようとしたウクライナ部隊をこの「回廊」撤退中に攻撃した。公式データでは、この「イロヴァイシクの悲劇」にて、ウクライナ軍人・治安機関職員計366名が死亡、429名が負傷、128名が人質として拘束され、158名が行方不明となった。

写真:大統領府ウェブサイト