露軍から解放されたメリトポリ市長、自身の拘束時の様子と解放プロセスについて説明

露軍から解放されたメリトポリ市長、自身の拘束時の様子と解放プロセスについて説明

ウクルインフォルム
ロシア軍に拉致されて6日間にわたり拘束されていたウクライナ南部ザポリッジャ州メリトポリのイヴァン・フェドロウ市長は17日、自身の拘束時の様子や解放プロセスについて説明した。

フェドロウ市長が「今の時間」局へのインタビュー時に発言した

フェドロウ氏は、「(自身が解放されたのは)2回目の解放の試みの時だった。1回目の試みは失敗した。1回目は、月曜日(14日)に行われた。私は、車で7時間にわたり運ばれた後、(被拘束者の)交換は行われない、と言われた。それで拘束場所に戻された。(中略)それはとても苦しい挑戦だった。頭に袋を被せられたまま、今どこにいるのか、どこへ向かっているのかわからず、また私を連れ回している人物に対する一切の信頼がない中で、7時間だ。その後、1日か1日半ほど、私は拘置されていた」と発言した。

同氏は、2回目の試みもまた「非常に困難だった」が、成功したと述べた。

さらに同氏は、拘束されている間、殴られることはなかったが、心理的圧力はかけられたと述べ、「私から何かを得なければならない時、私の周りには、5、6、7人の軍人が武器を持って集まっていた。彼らは、触れてくることはなかったものの、信じて欲しいが、7人の武器を持った人物がそばにいるというのは、主張を徹底的に押し通すには十分である(編集注:心理的圧力をかけるには十分の意)。あるいは、となりの拘置室で、誰かが拷問を受けていて、その人の叫び声が聞こえるというのも、確実に心理的に圧力となる。それは間違いなく、圧力、拷問と比較可能なものだ…。そのため、その6日間はずっと、非常に辛かった」と発言した。

同氏はまた、自身はメリトポリ市の拘置所に拘束されていたと発言した(編集注:フェドロウ氏は、ルハンシク市に連れて行かれたとの情報があった)。彼は、自身の状況に大きな注目が集まったから、解放に至ったのだと思うと発言した。

さらに同氏は、「現在私はキーウ(キエフ)にいる。今日(17日)私はゼレンシキー大統領と会った。その後私は、現場や、情勢の展開について全て協議した。明日にはもう、私はザポリッジャ州へと向かう。私が大統領の指示を受けて履行すべき、ある行動計画があるのだ」と発言した。

これに先立ち、3月11日、ロシア侵略軍がウクライナ南部ザポリッジャ州メリトポリのイヴァン・フェドロウ市長を拉致していた。約10人のロシア軍人がフェドロウ氏の執務室に侵入し、同氏の頭に黒い袋をかぶせ、車に無理矢理乗せて、不明の方向へと連れ去っていた。

16日、ティモシェンコ大統領府副長官は、フェドロウ・メリトポリ市長を人質から解放する特別作戦が成功裡に終了したと発表していた。ザリウナ大統領府長官顧問は、16日にロシア側から解放されたフェドロウ・メリトポリ市長は、ウクライナ側が拘束していたロシア兵捕虜9人との交換で実現したと説明していた。

ゼレンシキー大統領は17日、フェドロウ市長と面会し、「勇気勲章」を授与している。


Let’s get started read our news at facebook messenger > > > Click here for subscribe

トピック

ウクルインフォルム

インターネット上の全ての掲載物の引用・使用に際しては、検索システムに対してオープンであり、ukrinform.jpの第一段落より上部へのハイパーリンクが義務付けてられています。また、外国報道機関の記事の翻訳を引用する場合は、ukrinform.jp及びその外国報道機関のウェブサイトにハイパーリンクを貼り付ける場合のみ可能です。「宣伝」のマークあるいは免責事項のある記事については、該当記事は1996年7月3日付第270/96-BPウクライナ法「宣伝」法第9条3項及び2023年3月31日付第2849ー9ウクライナ法「メディア」の該当部分に従った上で、合意/会計を根拠に掲載されています。

© 2015-2024 Ukrinform. All rights reserved.

Website design Studio Laconica

詳細検索詳細検索を隠す
期間別:
-