ゼレンシキー大統領、約100年前のウクライナの若者とソヴィエト軍の戦いを喚起
ウクライナ大統領府広報室が伝えた。
発表によれば、ゼレンシキー大統領ら政権幹部が追悼碑に献花を行ったという。
さらに大統領府は、同日ゼレンシキー大統領は、キーウ軍事学校を訪れ、ウクライナの様々な軍事学校の学生たちと面会したと発表した。
ゼレンシキー氏は、100年以上前、クルーティの英雄たち、現在のウクライナ軍人と同様、模範となって、次世代のウクライナの戦士たちを鼓舞したと発言した。
同氏は、「104年前、私たちの大地、チェルニヒウ地方にて、自由で独立したウクライナを巡る闘いおける偉大な英雄的行為、勇気、不屈の精神の象徴として私たちの国家の歴史に残る戦闘が生じた。本当に若い、まだ経験のない、準備の終わっていない学生たちの活躍だ。彼らは、それでも、ウクライナを守るために立ち上がり、自らの命を代償に、兵力も装備も何倍も多い敵を止めたのだ」と発言した。
ゼレンシキー氏は、そのため今日自身はクルーティの英雄たちを、「将来ウクライナ軍に加わるべく軍事を学んでいる」ウクライナ全土の軍事学校の学生たちと共に称えると発言した。
さらに同氏は、「ウクライナにて戦争が始まったとき、あなた方の多くは10〜12歳だった。非常に困難な時期、あなた方は軍人の道を選んだ。それは、勇敢で大人びた行動だ。私は、ウクライナがそのことを知っている、見ている、称えているということを、あなた方に知っておいて欲しいと思っている」と強調した。
大統領府はまた、「クルーティの戦い」の説明文を掲載している。
説明によれば、1918年1月29日、クルーティという名の鉄道駅の近くにて戦闘が発生。ウクライナ側の兵力は、キーウ軍事学校の学生などを加えた約1000名だった。これに対して、侵攻してきたボリシェヴィキ軍の兵力は、約6000人だった。
戦闘は、ウクライナ側の組織された鉄道での撤退にて集結した。ウクライナ側とボリシェヴィキ側の損耗については、研究により数字が異なる。ウクライナ側は80名から100名、敵の損耗は最大で1500名だとする研究があるという。