武装集団から解放されたウクライナ人4名、キーウに到着
4名を乗せた飛行機がキーウ空港に到着した。112局が伝えた。
今回、「DPR・LPR」から解放されたドミトロー・ヴェリーキー氏は、軍人で、2016年9月11日から武装集団の人質となっていた。武装集団は、ヴェリーキー氏を「テロリズム」の罪で「懲役」15年の実刑判決を言い渡していた。
ヤキウ・ヴェレメイチューク氏は、2018年5月25日に拘束された人物。武装集団により、複数の「容疑」がかけられていた。
マクシム・ホリャイノウ氏は、本年5月22日に武装集団がノヴォトロイツィケ地区にて拘束した8名の軍人の一人。第53独立機械化旅団所属。同氏に対しても、武装集団は、「裁判」にて15年間の「懲役」を言い渡していた。
エドゥアルド・ミヘイェウ氏は、2017年10月16日から人質となっていた人物であり、武装集団により「国家反逆」の罪で「懲役」12年が言い渡されていた。
キーウに到着したヴェリーキー氏は、なぜロシアのロストフ・ナ・ドヌーへ移送され、その後ミンスク、キーウに送られるのかにつき、一切の説明がなされなかったと述べ、「私たちは、何も説明されていない。人質交換について、一切述べられなかった」と発言した。
ヴェリーキー氏は、人質であった際の状況についての質問については回答を拒否したが、拘束されていたのはマキイウカ収容所であり、「同収容所には、多くの、私の知る限り約20名のウクライナ人男性が拘束されていた」と発言した。
野党・生活党のメドヴェチューク氏は、記者団に対して、人質引き渡しの場所としてミンスクを選んだのは、武装集団側であると発言した。
これに先立ち、武装集団側で拘束されていたウクライナ国民4名の引き渡しに関しては、メドヴェチューク野党・生活党幹部が、武装集団の首長を名乗る、プシーリン氏とパシチニク氏と直接協議により合意に至ったと伝えられていた。